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'''リトミック'''({{Lang-fr|rythmique}}、{{Lang-en|eurhythmics}}、{{Lang-fr|Rythmique}}、ユーリズミックス、ユーリトミクス<ref>これらの言葉には、「優しい流れ」「良いかたち」という意味がある。国立音楽大学、神原雅之「<研究動向>幼児と音楽ーリトミックに関する研究動向を中心に」https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjomer/44/1/44_40/_pdf/-char/ja</ref>)は、[[19世紀]]末から[[20世紀]]初頭にかけて、[[新教育]]運動の絶頂期に、[[スイス]]の音楽教育家で[[作曲家]]でもあった[[エミール・ジャック=ダルクローズ|エミール・ジャック・ダルクローズ]]が開発した[[音楽教育]]の手法。開発者の名から、「ダルクローズ音楽教育法」ともいう。
 
== 概要 ==
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==応用・影響==
応用範囲は広く、音楽教育だけでなく、演劇や[[モダンダンス]]などの[[舞踊]]、および体操の基礎教育、さらには[[音楽療法]]、[[障がい児]]教育にも及んでいる。我が国の音楽教育では、大正時代に導入され、[[小林宗作]](1893年 - 1963年)と天野蝶がその先駆者である<ref>谷田貝公昭、林邦雄『保育用語辞典』一藝社 2006年 p.383</ref><ref>板野{{ruby|晴子|せいこ}}の論文「日本の音楽教育へのリトミック導入の経緯
―小林宗作、天野蝶、板野平の関わりを中心に―」に詳しい。https://meisei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=791&file_id=20&file_no=1 板野晴子には『日本におけるリトミックの黎明期 日本のリズム教育へリトミックが及ぼした影響』ななみ書房 2016年がある。</ref>。作曲家・[[指揮者]]の[[山田耕筰]]も、自らダルクローズを訪ね、大いに影響を受けたという。第二次世界大戦の後、アメリカで学んできた板野{{ruby|平|やすし}}がその普及発展に尽力した<ref>ダルクローズ/板野平訳『リズム運動』全音楽譜出版社 1970年</ref>。
 
[[日本]]の音楽教育の草分けで、作曲家・[[指揮者]]の[[山田耕筰]]も、自らダルクローズを訪ね、大いに影響を受けたという。