「ガリレオ・ガリレイ」の版間の差分
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[[ファイル:Suor maria celeste.jpg|right|thumb|120px|愛娘のマリア・チェレステ]]
[[ファイル:Costa san giorgio, casa di galileo 02.JPG|thumb|left|140px|フィレンツェでのガリレオの家]]
信仰の篤いガリレオは、2人の娘、ヴィルジニア・ガリレイ(Virginia Galilei、[[1600年]][[8月12日]] - [[1634年]][[4月2日]])とリヴィア(Livia、[[1601年]] - [[1659年]])を幼いうちに{{仮リンク|アルチェトリ|en|Arcetri}}の[[マタイ|聖マッテオ]][[修道院]]に入れた。ヴィルジニアは[[1616年]]に[[修道士|修道女]]となりマリア・チェレステ([[:en:Maria Celeste|Maria Celeste]])と改名した。この名は[[聖母マリア]]の名と、父ガリレイの愛する天文学にちなむ言葉を組み合わせたもので、Celesteとはイタリア語で「天」のことである。マリア・チェレステ尼と父ガリレオは親子の情愛に満ち溢れた手紙のやりとりをしていたようで、マリア・チェレステから父ガリレオに宛てた手紙124通が、ガリレオの死後に彼の文書の中から発見され現存している。リヴィアは[[1617年]]に[[修道士|修道女]]となりアルカンジェラと改名した。息子のヴィンツェンツィオ(Vincenzio、[[1606年]] - [[1649年]])は[[1619年]]に父に認知され、セスティリア・ボッキネーリ(Sestilia Bocchineri)と結婚した。
=== 晩年 ===
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