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しかしベーラ3世の死後、王位をめぐっての争いが起こって国力が衰退し始める。そして[[1205年]]、暗愚な[[エンドレ2世]](在位:1205年 - [[1235年]])が即位したことにより王権が著しく衰退し、大貴族の台頭を招くことにもなる。[[ベーラ4世]](在位:[[1235年]] - [[1270年]])の時代には、[[モンゴル]]軍の侵攻によって国内が荒廃してしまった。
 
その後、ラースロー4世(在位:[[1272年]] - [[1290年]])が王権強化を図ったが失敗し、[[暗殺]]されてしまった。そして[[1307年]]、ベーラ4世の孫に当たる[[オットー(ハ3世 (バイエルガリー王)公)|オットー]](在位:[[1305年]] - 1307年)が死去したことによりアールパード王朝は断絶し、[[選挙王制]]へと移行した。その選挙王制のもとでハンガリー王とポーランド王を兼ねた[[ラヨシュ1世]](在位:[[1342年]] - [[1382年]])は、ハンガリーの『大王』として有名である。
 
== ハンガリー王国の歴代国王 ==
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