「万国津梁の鐘」の版間の差分

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また後半は仏教の興隆が謳われ、これは当時内乱が打ち続いていた[[尚泰久王]]の治世において、仏教による鎮護国家思想を表したものとされている。1457年に尚泰久は[[李氏朝鮮|朝鮮]]から[[大蔵経]]を取り寄せており、仏恩に報じるためにこの梵鐘を鋳造、建立したとされる。大意は次のようである。
 
{{Indent|中国と日本から齎された諸々の文化により琉球が繁栄し、世の主<ref>(琉球国王。ここでは尚泰久のこと)</ref>が大位を[[王権神授説|天授]]され民生を涵養し(琉球の)大地は青々としている。[[三宝]]を盛んにし[[四恩]]<ref>ここでは世の主、[[琉球神道|祖霊神]]、[[三宝]]、[[衆生]]の4つ。</ref>に報いるため(この)梵鐘を鋳造し王殿に懸ける。王は国制を中国に倣って敷き、先王の教えに倣い武芸を奨励する。梵鐘の音は[[三界]]の[[衆生]]を救い、世の主の大位と[[万歳|長寿]]を祝う}}
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以下[[四行連|四言詩]]が続く。全文は以下の通り。{{Quotation|
中国と日本から齎された諸々の文化により琉球が繁栄し、世の主<ref>(琉球国王。ここでは尚泰久のこと)</ref>が大位を[[王権神授説|天授]]され民生を涵養し(琉球の)大地は青々としている。[[三宝]]を盛んにし[[四恩]]<ref>ここでは世の主、[[琉球神道|祖霊神]]、[[三宝]]、[[衆生]]の4つ。</ref>に報いるため(この)梵鐘を鋳造し王殿に懸けた。
 
全文は以下の通り。{{Quotation|
琉球国者南海勝地而<br />
鍾三韓之秀以大明為<br />