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Hannah (会話 | 投稿記録)
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== 略伝と逸話 ==
 
[[范陽]]([[北京]]市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に[[洛陽]]に出て文を[[韓愈]]に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。[[835年]]に長江県([[四川省]])の主簿となり、[[841年]]に普州司倉参事となり[[司戸]]に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。
 
進士の試験を韓愈に薦められて一度は落ち、「宰相が憎んでいるせいだ」と他人にそそのかされて腹を立て、ちょうど新居を建てたばかりの宰相・[[裴度]]にあてて詩を作り、「千家を破却して一池を作る、桃李を栽えずして薔薇を種う、薔薇花落ち秋風の後、荊棘満庭君始めて知らん」と誹謗したことがある。これは不評であり、賈島がなかなか出世しない理由となったという。
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「獨行潭底影、數息樹影身」の二句を3年かけて練り上げ、自ら注して「一吟双涙流る、知音もし賞せずんば、帰りて故山の秋に臥せん」という。[[小杉放庵]]は、「我が事について、ことさら重大に考える癖のある人」と評している。一方、唐代の[[李洞]]のように賈島の詩を慕い、ついに賈島の銅像(賈島仏)まで造って仕えた人もいる。
 
 
== 詩風 ==