「FS作戦」の版間の差分

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1942年(昭和17年)4月28日、連合艦隊は関係者に作戦計画案を配布。その後、[[兵棋演習|図上演習]]開始まで関係者は[[第一段作戦]]の戦訓研究会に出席していたため、作戦計画を深く研究する時間的余裕はなかった<ref>戦史叢書43ミッドウェー海戦90頁</ref>。戦艦「大和」において、28日から3日間、連合艦隊第一段階作戦戦訓研究会を実施、5月1日から4日間は第二段作戦の図上演習を実施、図上演習ではハワイ攻略まで行われた。実演は3日午後に終わり、3日夜と4日午前にその研究会を行い、4日午後からは第二期作戦に関する打ち合わせが行われた<ref>戦史叢書43ミッドウェー海戦89頁</ref>。図上演習では、連合艦隊参謀長[[宇垣纏]]中将が統監兼審判長兼青軍(日本軍)長官を務め、青軍の各部隊は該当部隊の幕僚が務め、赤軍(アメリカ軍)指揮官は[[日向 (戦艦)|戦艦「日向」]]艦長[[松田千秋]]大佐が務めた<ref>戦史叢書43ミッドウェー海戦89頁</ref>。爆撃、空戦などの審判官が規則に従って判決を下そうとしたとき、宇垣は日米の戦力係数を三対一にするように命じた<ref>淵田美津雄・奥宮正武『ミッドウェー』朝日ソノラマ411頁</ref>。ニューカレドニア、フィジー攻略における図上演習では、MI作戦で沈没したはずの「加賀」を復活させて進行している<ref>ゴードン・W・プランゲ『ミッドウェーの奇跡 上』原書房50頁</ref>。
 
1942年5月10日、[[珊瑚海海戦]]の結果を受け、[[ポートモレスビー]]攻略([[MO作戦]])を中止せざるを得なくなり、連合艦隊は「ポートモレスビー攻略作戦を第三期に延期す」と発令した<ref>戦史叢書49 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで 330頁</ref>。また連合軍がこの方面を重視し、有力な兵力を投入している兆候があった。しかし、日本陸海軍はともにFS作戦を再検討した形跡はないため、これは先行する[[ミッドウェー作戦]]で米空母を撃破できればFS作戦は容易であろうという判断があったと考えられいう意見もある<ref>戦史叢書80 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和17年6月まで 385頁</ref>。ポートモレスビー攻略を目指したMO作戦はポートモレスビーの戦略的重要性から陸海軍はニューカレドニア攻略に呼応し、ポートモレスビー攻略作戦を再興することにし、FS作戦とともに指示された<ref>戦史叢書80 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和17年6月まで 385-386頁</ref>、5月18日、軍令部は[[FS作戦]]間に再び実施することに改め、FS作戦と第二次MO作戦を指示した<ref>戦史叢書49 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで 349頁</ref>。
 
5月18日、大海令第十九号を発令<ref>戦史叢書80 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和17年6月まで 385-386頁</ref>。