「Colorless green ideas sleep furiously」の版間の差分

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# *Furiously sleep ideas green colorless.
 
It is fair to assume that neither sentence (1) nor (2) (nor indeed any part of these sentences) has ever occurred in an English discourse. Hence, in any statistical model for grammaticalness, these sentences will be ruled out on identical grounds as equally "remote" from English. Yet (1), though nonsensical, is grammatical, while (2) is not grammatical.<ref>{{cite book |last= チョムスキー |first= ノーム |authorlink= ノーム・チョムスキー|title= 文法の構造Syntactic Structures |date= 1957年 |publisher= ムートン社 |location= ハーグ/パリ | page=15 |isbn= 3-11-017279-8}}</ref>}}
 
試訳:{{quote|
(文法(grammar)という語が使われているが、現在の言語学では統語あるいは構文(syntax)と呼んでいるものをどちらかというと指している。「[[統語論]]」の記事も参照のこと)
 
この文が無意味であることがチョムスキーの論点の基盤だと思われがちであるが、チョムスキーそうでなく、どちらの文かつて一度も具体的には存在していないことをてにしていただけるのである(統計的モデルとはそういうことである。即ち、既に存在している文からしか、統計的モデルは得られない)。また、誰かが適当で無理のない意味を与えようとも、あるいは、この表現を単独もしくは何かと組み合わせて誰かが口にするのは初めてであっても、そういったこととは無関係に、この2つの例の片方は構文的にありえる文であり、もう片方は構文的にありえない「非文」である、ということは明らかである(ように見える)。そしてこれは、人間の発話が[[マルコフ連鎖]]とか語の連続の統計といった、表面的な統計的モデルに基づくという見解への反例に用いられた。
 
ただしこれは、チョムスキーが(ないし、[[生成文法]]が)コーパスを無視しているあるいは無用としている、ということでもない。「Colorless green ideas sleep furiously.」という文が、生成文法の観点から非文ではない(grammaticalである)ということもまた、字句的に全く同じ文が具体的・直接的には過去に存在していなくても、間接的には、同様な品詞の並びによる文が過去に多数存在していることが、英語の(生成文法による)文法の結局は根拠だからである。つまり技術的には、それを扱うには品詞などの情報が付加された、いわゆるタグ付きコーパスが要る。
 
== 意味をなす解釈の試み ==