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== 経歴 ==
武川鎮将の拓跋蘭の子として生まれた。若い頃から広く書物を読み、文才があった。洛陽県令となり、御史中尉の[[李彪]]と道の通行を争って、ともに入朝すると、[[孝文帝]]の前で理非を述べた。[[馮潤|馮昭儀]]の弟の馮俊興が権勢をたのんで横暴をふるったため、元志はかれを収監して処刑した。このため太尉主簿に左遷された。まもなく従事中郎となった。
 
孝文帝の南征のおり、帝が微服で観戦していたところ、一本の矢が帝の身に向けられた。元志が身をもってかばったため、帝は危難を免れた。矢は元志の目に当たって、片眼を失明した。元志は行恒州事として赴任した。[[宣武帝]]のとき、[[荊州]][[刺史]]に任じられた。御史中尉の[[王顕 (北魏)|王顕]]に人身売買の罪を告発されたが、赦免された。[[516年]]([[熙平]]元年)、荊沔都督として[[梁 (南朝)|南朝梁]]の軍を破り、南朝梁の[[恒農郡]][[太守]]の王世定らを斬った。廷尉卿を兼ねた。後に[[揚州 (古代)|揚州]]刺史に任じられ、建忠伯の爵位を受けた。まもなく[[雍州]]刺史に転出した。