「元志」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Qingchuer1980 (会話 | 投稿記録) m 馮潤ではない |
||
2行目:
== 経歴 ==
武川鎮将の拓跋蘭の子として生まれた。若い頃から広く書物を読み、文才があった。洛陽県令となり、御史中尉の[[李彪]]と道の通行を争って、ともに入朝すると、[[孝文帝]]の前で理非を述べた。
孝文帝の南征のおり、帝が微服で観戦していたところ、一本の矢が帝の身に向けられた。元志が身をもってかばったため、帝は危難を免れた。矢は元志の目に当たって、片眼を失明した。元志は行恒州事として赴任した。[[宣武帝]]のとき、[[荊州]][[刺史]]に任じられた。御史中尉の[[王顕 (北魏)|王顕]]に人身売買の罪を告発されたが、赦免された。[[516年]]([[熙平]]元年)、荊沔都督として[[梁 (南朝)|南朝梁]]の軍を破り、南朝梁の[[恒農郡]][[太守]]の王世定らを斬った。廷尉卿を兼ねた。後に[[揚州 (古代)|揚州]]刺史に任じられ、建忠伯の爵位を受けた。まもなく[[雍州]]刺史に転出した。
|