「ハイドロニューマチック・サスペンション」の版間の差分

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最小の「クリアランス」、潤滑と可動性(油膜形成と動きやすさの度合い)に最も適した値は1[[マイクロメートル|μm]]であり、最大でもオイル漏れや効率低下をきたさないために3μm以内でなければならない。1955年当時としては絶望的な数値であった。現在でも普通の工作精度は、もう一桁下(10μm)である。
 
この1 - 3μmの精度を得るために、パリ郊外のアニエール(Asnieres)工場で、[[冶金]]術・[[工業化学]][[機械工学]]を動員した特別の工業生産がおこなわれた。
 
この歴史を年代を追って記すと以下のようになる。
 
* [[1954年]] - 15-Six-Hに初めて高圧油圧が導入された時には32μm以上にばらついていたので、ボアとピストンは32クラスもあった。言い換えれば、この「ばらつき」の内から[[公差]]1 - 3μmの範囲で「組み合わせ」を選び出して組み合わせていた。これでは大量生産はできない。
* [[1955年]] - DS19では、16クラスにまで下げられたが、まだまだ[[生産性]]低いものだった。
* [[1960年]] - 6クラスにまで下げられたが、充分な生産性ではなかった。この精度を要求する油圧部品」は多数あったからである。高圧ポンプを始め、ハイトコレクター、ギヤセレクター、ブレーキシリンダーと数え上げたらきりがなく、これらの生産数を考えてもDSの生産数は「限界にある」ことがわかる。
* [[1961年]] - この年になって初めて「全ての部品」が同一ミクロンで生産されるようになったのだ。すなわち、もはや1クラスで生産されるので、製品を「測定して組み合わせる」必要はなくなった。35,000個/日、700,000個/月の製品が同じミクロンで造り続けられるようになった。
 
DDS/IDシリーズが本当の意味で「[[大量生産]]車」になったのは1961年以降ということになる。
 
例えば、ハイトコレクターはスライド・バルブ:6,364μm - 6,365μm、ボア:6,366μm - 6,367μm の間で生産されている。従って、この組み合わせでは最大のクリアランスは 1 - 3μmになっている。この精度を保つには「製造許容度を 5/10 - 7/10 μm に上げねばならないし、最高の材料を選び、最適な熱処理のもとで製造されなければならない」