「高原列車は行く」の版間の差分

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== 解説 ==
1951年、[[毎日新聞]]の記者をしていた西山安吉([[福島県]][[田村郡]][[小野新町]]出身)が[[丘灯至夫|丘十四夫]]{{refnest|group="注"|丘灯至夫は1957年までは「丘十四夫」のペンネームを使っており、『高原列車は行く』のレコードでも「丘十四夫」としてクレジットされている。}}の名義で作詞し、[[古関裕而]]の作曲、岡本の歌唱で発表した『あこがれの郵便馬車』がヒットすると、1954年に同じトリオで制作・発表されたのが本曲である<ref>{{Cite web |author= 刑部芳則|date= 2020-11-13|url= https://fujinkoron.jp/articles/-/2846|title= 朝ドラ『エール』古関裕而が妻のために創作したオペラ、「高原列車は行く」秘話「やはり僕の奥さんだねえ」|website= 婦人公論|page=1-4|publisher= 中央公論新社|accessdate=2020-11-28}}</ref>。
 
本曲制作にあたり、丘は病弱だった少年時代に[[磐梯急行電鉄]](通称:沼尻軽便鉄道)の列車に乗ったことを思い出して詞を書いたという<ref name="Minyu-1">{{Cite news2|title=沼尻軽便鉄道(猪苗代町)|url=https://www.minyu-net.com/tourist/butai/080515/butai.html|newspaper=みんゆうnet|agency=福島民友新聞社|date=2008-05-11|accessdate=2020-11-28}}</ref><ref name="Minyu-2">{{Cite news2|title=古関裕而『うた物語』 高原列車は行く|url=https://www.minyu-net.com/serial/koseki/0921/koseki30.html|newspaper=みんゆうnet|agency=福島民友新聞社|date=2009-09-21|accessdate=2020-11-28}}</ref>。このため、歌詞には[[五色沼]]など当地の名所を彷彿させるワードが散りばめられている。