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ルースターズ最後のスタジオ・アルバム。参加メンバーは、[[花田裕之]]([[ギター]]・[[ボーカル]])、[[下山淳]](ギター、ボーカル)、[[穴井仁吉]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])、三原重夫([[ドラムセット|ドラムス]])。ゲスト・ミュージシャンに[[ホッピー神山]]([[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]、[[コーラス]])、[[SION]]([[ハーモニカ|ブルースハープ]])、[[渡辺等]]([[チェロ]])を迎えて製作された。
パリ・レコーディングの前作『PASSENGER』のツアー後、ベースの柞山一彦、ドラムの灘友正幸の二人が脱退することになり<ref name="hanada149">「花田裕之インタビュー」 『ROCKIN' ON JAPAN FILE VOL.2』 ロッキング・オン、1989年5月、149頁。(初出『ROCKIN' ON JAPAN』1988年8月号)</ref>、その後花田と下山が話し合いルースターズの解散を決めた<ref>「下山淳インタビュー」 『ROCKIN' ON JAPAN FILE VOL.2』 ロッキング・オン、1989年5月、166-167頁。(初出『ROCKIN' ON JAPAN』1988年9月号)</ref>。しかし、レコード会社とのリリース契約が残っていたことからもう1枚レコードを製作することになり、下山は新メンバーとしてベースに元[[ザ・ロッカーズ]]の穴井仁吉、ドラムに元[[ローザ・ルクセンブルグ (バンド)|ローザ・ルクセンブルグ]]の三原重夫を招聘した。下山は、穴井に関しては「すごいベーシストだから、九州で腐らせとくのは惜しい」、三原は「前から一度一緒にやりたかった」とそれぞれ加入させた理由を語っている<ref name="shimoyama167">下山、1989年、167頁。</ref>。
『FOUR PIECES』のレコーディングは荒涼としたものだった。二人の新メンバーはレコーディングの様子を、ソロアルバムを2つ作っているようだったと語り<ref>花田、1989年、152頁。</ref>、セッションのような雰囲気を持つアルバムとも評価されている<ref>『レコードコレクターズ』1999年5月号 ミュージックマガジン、1999年、79頁。</ref>。しかし、そのような状況に反してアルバム自体は非常に充実したものに仕上がった。花田は88年6月のインタビューで、新メンバーの加入によってバンドが上手くいくのは見えていたとし<ref name="hanada149"/>、サウンド的には大江脱退以降では今が一番良いと話している<ref>花田、1989年、148-149頁。</ref>。下山も解散コンサート翌日のインタビューで、あのリズム隊には自信があった、どんなアイデアを出しても受け止められる<ref name="shimoyama167"/>、今がベストであれ以上は絶対作れない<ref>下山、1989年、168頁。</ref>とアルバムの出来に絶対の自信を語っていた。
アルバムのタイトル名の由来について花田は、「4人揃ったという気分だったんで」としている<ref>『PATi PATi Rock'n Roll』1988年6月号 CBS・ソニー出版、133頁。</ref>。
== 曲目 ==
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