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安全第一 (safety-first)は、[[アメリカ合衆国]]で誕生した標語(スローガン)である。
 
[[1900年代]]初頭、アメリカ国内では[[景気循環|不景気]]のあおりを受け、[[労働|労働者]]たちは劣悪な環境の中で[[危険]]な業務に従事していた。結果、多くの[[労働災害]]に見舞われていた。
結果、多くの[[労働災害]]に見舞われていた。
 
当時、世界有数の規模を誇っていた[[鉄|製鉄]]会社、[[USスチール]]の社長であった[[エルバート・ヘンリー・ゲーリー]]は労働者たちの苦しむ姿に心を痛めていた。熱心な[[キリスト教徒]]でもあった彼は[[人道]]的見地から、当時の「'''生産第一、品質第二、安全第三'''」という会社の経営方針を抜本的に変革し、「'''安全第一、品質第二、生産第三'''」としたのである<ref>http://news.google.com/newspapers?nid=1893&dat=19270815&id=U_UoAAAAIBAJ&sjid=ItQEAAAAIBAJ&pg=6136,414564 THE SOUTHEAST MISSOURIAN紙(1927年8月15日第5面)に掲載されたElbert Henry Gary氏の訃報には、次のように記されている。Mr. Gary was known as the father of the industrial safety movement and the first large industrial companies to inaugurate "safety-first" campaigns among its employees.</ref><ref>{{Citation | ref = none | title = 現場管理で利益をあげる印刷工場 | author = 竹内秀朗 | publisher = 日本印刷新聞社 | year = 2001 | isbn = 9784888841177 | page = 170}}</ref>。
当時、世界有数の規模を誇っていた[[鉄|製鉄]]会社、[[USスチール]]の社長であった[[エルバート・ヘンリー・ゲーリー]]は労働者たちの苦しむ姿に心を痛めていた。
熱心な[[キリスト教徒]]でもあった彼は[[人道]]的見地から、当時の「'''生産第一、品質第二、安全第三'''」という会社の経営方針を抜本的に変革し、「'''安全第一、品質第二、生産第三'''」としたのである<ref>http://news.google.com/newspapers?nid=1893&dat=19270815&id=U_UoAAAAIBAJ&sjid=ItQEAAAAIBAJ&pg=6136,414564 THE SOUTHEAST MISSOURIAN紙(1927年8月15日第5面)に掲載されたElbert Henry Gary氏の訃報には、次のように記されている。Mr. Gary was known as the father of the industrial safety movement and the first large industrial companies to inaugurate "safety-first" campaigns among its employees.</ref><ref>{{Citation | ref = none | title = 現場管理で利益をあげる印刷工場 | author = 竹内秀朗 | publisher = 日本印刷新聞社 | year = 2001 | isbn = 9784888841177 | page = 170}}</ref>。
 
この方針が実行されると、労働災害はたちまち減少した。品質・生産も上向いた景気の波に乗り、この安全第一という標語はアメリカ全土に、やがて世界中に広まった。
品質・生産も上向いた景気の波に乗り、この安全第一という標語はアメリカ全土に、やがて世界中に広まった。
 
日本において安全第一の標語は工事現場や[[工場]]などで掲示されており、目にすることができる。「安全」と「第一」の間に[[緑十字]]が配置されることが多く、[[旗]]や[[幕|垂れ幕]]のほか、作業員の[[ヘルメット]]や作業車両などに書かれる。
 
しかし過度な「安全第一」の意識が広がり、作業員が比較的軽度の労働災害に見舞われた際「会社に迷惑がかかるとクビになるかも」や「もう仕事受注できなくなるかも」などの不安から、労働災害の保険に加入していても会社に報告せず、健康保険などの本来使用の異なる対処をしてしまうケースがかなりある。
 
== 脚注 ==