「坂口弘」の版間の差分

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第一審・[[東京地方裁判所]](中野武男裁判長)で1982年6月18日に[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を受け<ref name="impact2016">{{Cite book |和書 |author=年報・死刑廃止編集委員会 |title=死刑と憲法 年報・死刑廃止2016 |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2016-10-10 |pages=216 |isbn=978-4755402692 }}</ref>、[[東京高等裁判所]]に[[控訴]]するも1986年9月26日に同高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却(死刑判決支持)の判決を受けた<ref name="impact2016"/>。[[1993年]][[2月19日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]([[坂上寿夫]]裁判長)で[[上告]][[棄却]]の判決を受けた<ref name="impact2016"/>。その後判決訂正の申し立てをするが、[[3月9日]]に棄却決定がなされたことで死刑が確定した。最高裁判決はあさま山荘事件発生日からちょうど21年であった。17人殺人(司法の認定としては16人殺人と1人傷害致死)は[[死刑囚]]としては当時の戦後最悪の数字であり、[[オウム真理教事件]]で27人殺人(司法認定は26人殺人と1人逮捕監禁致死)を犯した[[麻原彰晃]]の死刑判決が[[2006年]]9月に確定するまで破られなかった。
 
[[20192021年]]現在、坂口は死刑囚として[[東京拘置所]]に[[収監]]されている<ref name="impact2016"/>。坂口の死刑が執行されていないのは、[[共犯]]者である坂東國男が国外[[逃亡]]して裁判が終了していないためとされている。
 
[[1990年代]]に、獄中で[[短歌]]を作って[[朝日新聞]]の「朝日歌壇」に投稿した時期もあり、その作品の一部が『坂口弘 歌稿』(朝日新聞社)にまとめられている。また、一連の連合赤軍事件の記録を当事者として後世に残すため、『あさま山荘1972』<上・下・続>(彩流社)を著した(下巻についてはいったん完成し、確定判決の直前に出版社宛てに郵送した原稿が行方不明となり、再度書き直している)。