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Reference脚注
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'''ニューロマンティック'''('''ニューロマンティックス'''、'''ニューロマンティクス''')とは、1970年代後半の[[ロンドン]]で、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]シーンから派生した音楽ジャンルのひとつ。
{{otheruses||高橋幸宏のアルバム|NEUROMANTIC}}
 
{{Unreferenced|date=2011-12}}
==歴史==
'''ニューロマンティック'''('''ニューロマンティックス'''、'''ニューロマンティクス''')とは、1970年代後半の[[ロンドン]]で、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]シーンから派生した音楽ジャンルのひとつ。イギリスで[[YMO]]を最初に紹介したとされる人の[[スティーヴ・ストレンジ]]が主宰していたクラブ・ビリーズで開催されていた「[[デヴィッド・ボウイ]]・ナイト」が発祥と言われ、スティーヴ・ストレンジのバンド“[[ヴィサージ]]”が元祖ニューロマンティック<ref>https://www.allmusic.com/album/visage-mw0000196220</ref>であり、後に[[デュラン・デュラン]]、[[カルチャー・クラブ]]などが登場してきた。
ニューロマンティックのサウンド面は、基本的には[[シンセサイザー]]を多用した[[エレクトロ・ポップ]]が主体であるが、生演奏主体のバンドも多く存在するため音楽性は様々である。
ルーツとしては、[[デヴィッド・ボウイ]]や[[ロキシー・ミュージック]]等の[[グラム・ロック]]の流れからの[[ダンディ]]ズムが構築されていったとされる{{sfn|佐久間|1999|page=34}}。ビジュアル戦略により、[[1980年代]]前半のアメリカで[[第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン]]と呼ばれるブームを巻き起こした
巧みなビジュアル戦略により、[[1980年代]]前半のアメリカで[[第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン]]と呼ばれる一大ブームを巻き起こした。
 
誕生のきっかけは、当時70年代後半から80年代初頭英国の主流的なムーヴメント、つまり[[パンク]]への反動である。パンクが先鋭さを失いバイオレントで保守的な傾向を強停滞し始中、新たな刺激と表現方法を模索し始めた若者たち、[[スティーヴ・ストレンジ]]と[[ラスティ・イーガン]]が1978年にソーホーのクラブ=ゴシップでスタートしたパーティに、集まるようになる。その後、ビリーズ、さらにコヴェント・ガーデンの[[ブリッツ]]へと場所を変えたパーティは、ロンドン随一の人気を誇るクラブ・イヴェントへと成長{{sfn|新谷|2017|page=69}}。平等主義を掲げるブリッツには、クローク係だった[[ボーイ・ジョージ]]、[[シャーデー]]、[[スパンダー・バレエ]]の面々、[[ジョン・ガリアーノ]]、[[マイケル・クラーク]]といった未来のスター顔ぶれが集う反面、酔っぱらった[[ミック・ジャガー]]や[[ピート・タウンゼント]]といったのような有名人は追い返された。
==概要==
音楽的にはデヴィッド・ボウイとロキシー・ミュージックを核に、[[イギー・ポップ]]、[[シック、シスター・スレッジ]]、[[クラフトワーク]]、[[ジョルジオ・モロダー]]、[[テレックス (ベルギーのバンド)|テレックス]]、YMOなどを逸早く紹介した。
誕生のきっかけは、当時の英国の主流的なムーヴメント、つまり[[パンク]]への反動である。パンクが先鋭さを失いバイオレントで保守的な傾向を強める中、新たな刺激と表現方法を模索し始めた若者たちは、[[スティーヴ・ストレンジ]]と[[ラスティ・イーガン]]が1978年にソーホーのクラブ=ゴシップでスタートしたパーティに、集まるようになる。その後、ビリーズ、さらにコヴェント・ガーデンの[[ブリッツ]]へと場所を変えたパーティは、ロンドン随一の人気を誇るクラブ・イヴェントへと成長{{sfn|新谷|2017|page=69}}。平等主義を掲げるブリッツには、クローク係だった[[ボーイ・ジョージ]]、[[シャーデー]]、[[スパンダー・バレエ]]の面々、[[ジョン・ガリアーノ]]、[[マイケル・クラーク]]といった未来のスターが集う反面、[[ミック・ジャガー]]や[[ピート・タウンゼント]]といった有名人は追い返された。
これらを融合させたダンサブルで斬新なサウンドを打ち出したのが、ストレンジとイーガンがリッチ・キッズの[[ミッジ・ユーロ]]や[[マガジン (イギリスのバンド)|マガジン]]のメンバーらと結成した[[ヴィサージ]]{{sfn|鈴木|2015|page=142}}、そしてスパンダー・バレエだった。ちなみに、当初は"ピーコック・パンク"や"フューチャリスツ"などと呼ばれていたムーヴメントを"'''New Romantic'''"と命名したのは、[[ランドスケープ (曖昧さ回避)|ランドスケープ]]を率いるニュージーランド人のドラマー兼プログラマーで、スパンダー・バレエの最初の2枚のアルバムをプロデュースした、リチャード・ジェイムス・バージェスである{{sfn|Amabile|2011|page=705}}。
音楽的にはデヴィッド・ボウイとロキシー・ミュージックを核に、[[イギー・ポップ]]、[[シスター・スレッジ]]、[[クラフトワーク]]、[[ジョルジオ・モロダー]]、[[テレックス (ベルギーのバンド)|テレックス]]、YMOなどを逸早く紹介した。
これらを融合させたダンサブルで斬新なサウンドを打ち出したのが、ストレンジとイーガンがリッチ・キッズの[[ミッジ・ユーロ]]や[[マガジン (イギリスのバンド)|マガジン]]のメンバーらと結成した[[ヴィサージ]]{{sfn|鈴木|2015|page=142}}、そしてスパンダー・バレエだった。ちなみに、当初は"ピーコック・パンク"や"フューチャリスツ"などと呼ばれていたムーヴメントを"'''New Romantic'''"と命名したのは、[[ランドスケープ (曖昧さ回避)|ランドスケープ]]を率いるニュージーランド人のドラマー兼プログラマーで、スパンダー・バレエの最初の2枚のアルバムをプロデュースした、リチャード・ジェイムス・バージェスである{{sfn|Amabile|2011|page=705}}。
 
他にも[[ウルトラヴォックス]]や[[カルチャー・クラブ]]がニュー・ロマンティック・バンドに数えられているが、そんなロンドン中心のムーヴメントにおいて、バーミンガム出身ながら代表格と目されているのが[[デュラン・デュラン]]である。
バンドのデビュー前から、[[ニック・ローズ]]は[[バーミンガム]]におけるニュー・ロマンティック震源地拠点だったクラブ=ラム・ランナーのDJとして人気を誇っていた。彼はラスティのセレクションと大いに重複する曲をかけながらパンクの次に鳴らすべき音を独自に模索していた。同時にラム・ランナーは初期のデュラン・デュランのライヴ会場ともなり、彼らにとって、スパンダー・バレエにとってのブリッツに似た機能を果たした{{sfn|新谷|2017|page=70}}。
彼らの先輩とも言うべきバンドの[[ジャパン]]はニュー・ロマンティックと呼ばれるのを嫌ったが、そのファッションとサウンドの類似性からニュー・ロマンティックの先駆者と呼ばれることもある{{sfn|鈴木|2015|page=143}}。
 
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==ファッション==
ニューロマンティックの音楽性は様々であるが、初期はヒラヒラした中世ヨーロッパ的な衣装を身につけたり、派手な化粧をするなど、外見に関してその特徴が一致する{{sfn|佐久間|1999|page=34}}。
 
1978年の暮れにオープンしたビリーズの2店目では、できるだけ個性的なファッションが入店の条件とされた。翌年ブリッツに移る頃には、アート・スクールの学生やファッション・デザイナーらの溜まり場と化し、いわゆる"ブリッツ・キッズ"が登場した。彼らは両性具有的なイメージを強調し、厭世的な快楽主義を歌いあげた{{sfn|新谷|2017|page=69}}。やがて会場はヘルへと移り、他にもル・キルトやル・ビート・ルートといったクラブもソーホーに現れ、1986年には映画『ビギナーズ』となって表出した。
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1980年代当時、日本においてニューロマンティック・バンドと呼べるものが存在していたのか証明するのは難しい。近い存在としては[[一風堂]]のギタリスト[[土屋昌巳]]が活躍していた。彼は後期ジャパンのメンバーとして、また[[アーケイディア]](デュラン・デュランの派生ユニット)のサポートメンバーとしても活動していて、ニューロマンティック・バンドとそれなりに付き合いもある{{sfn|Amabile|2011|page=795}}。しかし一風堂そのものがニューロマンティック・バンドだったのかどうかは意見が分かれるだろう。また、デビュー当時の[[TM NETWORK]]のファッションにもニューロマンティックの影響が窺える。既にベテランの歌手だった[[沢田研二]]も、アダム&ジ・アンツなどのサウンドやファッションを取り入れた{{sfn|鈴木|2015|page=143}}。
[[バンドブーム]]以降は、[[GRASS VALLEY]]、[[SOFT BALLET]]、[[Access (音楽ユニット)|access]]、[[LUNA SEA]]、[[SHAZNA]]、[[L'Arc~en~Ciel]]など[[ヴィジュアル系]]バンドたちのメンバーが、ニューロマンティック・バンドからの影響を公言するようになった。むしろヴィジュアル系の多くは[[ゴシック・ロック]]系と見られることが多い
とはいえニューロマンティックに逸早く反応したのはむしろ、[[本田恭章]]や[[中川勝彦]]、[[松岡英明]]といった当時は"アイドル系"とみなされていたソロ・アーティストたちであった。
1990年代後半には、[[テイ・トウワ]]と[[今田耕司]]のユニット[[KOJI1200]]のデビュー曲「ナウ ロマンティック」の曲調及び衣装がニューロマンティックをモチーフにしていて、正にネオ・ニューロマンティック・サウンドであった(とはいえこの楽曲は、ニューロマンティックに対する風刺として作られた可能性も否定できない){{sfn|鈴木|2015|page=141}}。
[[バンドブーム]]以降は、[[GRASS VALLEY]]、[[SOFT BALLET]]、[[Access (音楽ユニット)|access]]、[[LUNA SEA]]、[[SHAZNA]]、[[L'Arc~en~Ciel]]など[[ヴィジュアル系]]バンドたちのメンバーが、ニューロマンティック・バンドからの影響を公言するようになった。
しかし、彼らがポスト・ニューロマンティックとみなされることはあまりない。むしろヴィジュアル系の多くはポスト・[[ゴシック・ロック]]、ポスト・[[ポジティヴ・パンク]]とみなされることが多い。
1990年代後半には、[[テイ・トウワ]]と[[今田耕司]]のユニット[[KOJI1200]]のデビュー曲「ナウ ロマンティック」の曲調及び衣装がニューロマンティックをモチーフにしていて、正にネオ・ニューロマンティック・サウンドであった(とはいえこの楽曲は、ニューロマンティックに対する風刺として作られた可能性も否定できない){{sfn|鈴木|2015|page=141}}。
 
==アーティスト==
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*[[ソフト・セル]]
*[[オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク]] (OMD)
*[[ABC_(バンド)|ABC]]({{要出典範囲|初期のABCは、通常は「ブリティッシュ・ジャズ・ファンク」に分類される|date=2018年9月}})
*[[:en:Landscape (band)|Landscape]](後期){{sfn|Amabile|2011|page=705}}
*[[ジャパン (バンド)|ジャパン]]({{要出典範囲|ニューロマンティックではないが、そう言われることがある|date=2018年9月}})
*[[トーク・トーク]](初期)
*[[デペッシュ・モード]](初期)
*[[クラシックス・ヌヴォー]]
*[[シンプル・マインズ]]{{sfn|鈴木|2015|page=142}}
*[[バウ・ワウ・ワウ]]
*[[モダン・ロマンス]]<ref>{{Cite web |url=https://www.cdjournal.com/i/disc/adventures-in-clubland/1197090407 |title=モダン・ロマンス / ロマンティックな冒険者 [廃盤] [CD] [アルバム] |website=CDJournal |publisher=シーディージャーナル |accessdate=2018-09-20 }}</ref>({{要出典範囲|通常は「ファンカラティーナ」に分類される|date=2018年9月}})
*[[チャイナ・クライシス]]{{sfn|佐久間|1999|page=109}}
*[[カジャグーグー]]
*[[トンプソン・ツインズ]]<ref>{{Cite web |date=2009-09-10 |url=https://www.cdjournal.com/i/news/duran-duran/26152 |title=CD3枚組の“ニュー・ロマ”コンピ!デュラン・デュラン、ヴィサージ他 |website=CDJournal ニュース |publisher=シーディージャーナル |accessdate=2018-09-21 }}</ref>
*[[フロック・オブ・シーガルズ]]
*[[デッド・オア・アライヴ (バンド)|デッド・オア・アライヴ]]