「福島藩」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Nihonmon (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
16行目:
== 沿革 ==
=== 米沢藩重臣の統治時代 ===
[[上杉氏|上杉家]]は、信達(しんたつ)の両郡には郡代や奉行として佐藤氏や小笠原(古川)氏を置き<ref group="注釈">佐藤家忠は福島を本貫とする地侍(信夫佐藤氏18代目)。古川重吉は信濃衆(更級郡塩崎城主・小笠原氏の出身)で不仲だったという説もあるが、現在は西根神社に、信達総鎮守として共に祀られている。</ref>、信夫郡の[[福島城]]には本庄繁長や春日(高坂)氏、伊達郡の[[梁川城]]には[[芋川正親]]や須田氏らを城主(城代)として統治させた。
 
[[上杉定勝]]は彼らを肝煎として、福島盆地に[[西根堰]](にしねぜき)水路を完成させ、耕地面積を飛躍的に拡大した<ref group="注釈">21世紀の現在も維持管理されている。下堰(したぜき)と上堰(うわぜき)の2つの水路があり、灌漑面積は約1,400ha。</ref>。
 
[[寛文]]4年([[1664年]])、定勝の子(景勝の孫)[[上杉綱勝|綱勝]]が、子供の無いまま急死して断絶の危機を迎えたが、綱勝の舅[[保科正之]](3代将軍[[徳川家光]]の実弟)の尽力により、綱勝の甥で妹婿[[吉良義央]]([[上野介]]、扇谷上杉家の[[女系]]子孫)の子[[上杉綱憲|綱憲]]が綱勝に養子入りした結果、半知15万石で家名存続することを許された。その際、福島城を含む信夫郡・梁川城の伊達郡・高畠城のある置賜郡屋代が公収された。
110行目:
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<div class="references-small"><references /></div>
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
122 ⟶ 126行目:
* [http://www.itakurajinja.com/ 板倉神社 | 福島市 板倉神社]
* [https://www.digital.archives.go.jp/das/image-l/M1000000000000000463 天保国絵図陸奥国福島] 国立公文書館デジタルアーカイブ
 
{{s-start}}
{{s-bef|before=([[陸奥国]])|表記=前}}