「ペトロニーユ・ダキテーヌ」の版間の差分

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アリックス(Alix)、オック語でエリット(Aelith)と様々な名で呼ばれた。結婚後はアリックスと呼ばれた一方で、ペトロニーユは幼年時代の名称とみられる。
 
彼女は姉アリエノールに連れられてフランス宮廷へやってきて、当時16歳前後と若く美しかったペトロニーユは父より年上の壮年で、義兄フランス王[[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]の従兄にあたる壮年の[[ヴェルマンドワ伯]][[ラウル1世 (ヴェルマンドワ伯)|ラウル1世]]と出会い恋愛関係になる。ラウルは既に40歳を超えていたが、凛々しい魅力的のある[[隻眼]]の勇敢な戦士であり、さらに当時のヨーロッパの貴族社会において親子程歳の開きがある夫婦は珍しくなかった
 
ラウル1世は既に40歳を超え、もしペトロニーユの実父[[ギヨーム10世 (アキテーヌ公)|ギヨーム10世]]が当時まだ生きていれば、それよりも年上であったが、凛々しい魅力のある勇敢な[[隻眼]]の戦士であり、さらに当時のヨーロッパの貴族社会において親子程歳の開きがある夫婦は珍しくなかった。

しかし、ラウル1世は既に妻婚者で[[ブロワ家]]出身の妻[[エレオノール・ド・シャンパーニュ]]がいた。彼は王妃アリエノールにより、妻と離婚し、ペトロニーユと結婚した<ref>エレオノールとラウル1世が親族に当たることに目を付けたアリエノールは、それを理由として2人の婚姻の無効を教会に主張し、離婚を成立させたが、ラウル1世の父方の[[高祖母]][[アデライード・ダキテーヌ]]が[[ポワティエ家]]の生まれであり、ラウルとペトロニーユもまた、アキテーヌ公ギヨーム3世を共通祖先に持った血族結婚の夫婦である。</ref>。
 
しかし、ラウルに離縁されたエレオノールの実兄であるブロワ伯[[ティボー4世 (ブロワ伯)|ティボー4世]]が妹が受けた仕打ちに激怒し、事件をローマ法皇に陳情したため、ラウル1世とペトロニーユ夫妻、ラウルと先妻の[[婚姻の無効]]を命じた[[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]、それを宣言したサンスの司教は[[ローマ教皇]]によって破門された。教皇[[インノケンティウス2世 (ローマ教皇)|インノケンティウス2世]]は破門の取り下げを約束したが、1143年に約束を撤回した。