「近藤長次郎」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[File:House site of Kondo Chojiro.jpg|thumb|200px|right|近藤長次郎邸跡碑(高知市上町2丁目)]]
[[高知城]]下の饅頭商人の息子として生まれ、長次郎自身も饅頭を売り歩いていたため、はじめは[[名字|苗字]]がなく饅頭屋長次郎と呼ばれた。幼少期から聡明で土佐では[[河田小龍]]、[[江戸]]では[[安積艮斎]]らに学んだ。その才能を[[山内容堂]]にも認められて[[文久]]3年([[1863年]])に名字帯刀を許された上で、[[神戸海軍操練所]]に入った。[[岩崎弥太郎]]とは知己で、土佐を立つ際には餞別として刀を貰っている。同じく土佐藩出身である[[坂本龍馬]]とは仲が良く、龍馬と共に[[海援隊]]の前身である亀山社中を設立した。また龍馬の命令で[[長州藩]]に赴き、小銃を売り渡している。このとき、長次郎は長州藩主[[毛利敬親]]から謝礼の言葉を直々に受けている。