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{{出典の明記|date=2018年9月}}
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battle_name=アドウォルトン・ムーアの戦い
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'''アドウォルトン・ムーアの戦い'''(アドウォルトン・ムーアのたたかい、[[英語|英]]:Battle of Adwalton Moor)は、[[清教徒革命]]の[[イングランド内戦]]({{仮リンク|第一次イングランド内戦|en|First English Civil War}})における[[1643年]][[6月30日]]の国王軍([[騎士党|王党派]])と議会軍([[円頂党|議会派]])の戦闘である。
 
イングッドフォードに駐屯していた議会軍司令官の[[ファーディナンド北部フェアファクス (第2代フェアファクス卿)|ファーディナンド・フェアファクス]]と息子[[マス・フェアファス (第3代フェアファクス卿)|トシャマス・フェアファクス]]は[[ニューカッスル公爵|ニューカッスル伯]][[ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代ニューカッスル公)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ]]の率いる国王軍に圧ってきされ危機を迎えているとの報せを受けた。ブラッドフォ救援に向かったグロビドでのグレイ卿{{仮リンク|トマス・グレイ (1657年没)|en|Thomas Grey, Lord Grey of Groby|label=トマス・グレイ}}、[[オリバー・クロムウェル]]、{{仮リンク|ジョン・ホタム (1610-1645)|en|John Hotham, the younger|label=ジョン・ホタム}}ら議会軍が[[ノッティンガム]]に集合したが、ホタム包囲王党派に内通したことが発覚、[[6月18日]]に逮捕されると判断た。一旦脱走した父子ホタム[[6月28日|28日]]に同名の父{{仮リンク|ジョン・ホタム (初代準男爵)|en|Sir John Hotham, 1st Baronet|label=ジョン・ホタム}}共々再度捕ら撃つべく出陣、両軍はアられ[[ロンウォルトの荒野で戦闘状態に入っ]]へ送られ<ref>ガードナー、P287 - P290、ウェッジウッド、P218 - P219。</ref>
 
一方、[[ブラッドフォード]]に駐屯していた議会軍司令官の[[ファーディナンド・フェアファクス (第2代フェアファクス卿)|ファーディナンド・フェアファクス]]卿と息子[[トーマス・フェアファクス (第3代フェアファクス卿)|トーマス・フェアファクス]]は、ニューカッスル伯の国王軍が迫ってきているとの報せを受けた。ブラッドフォードでは包囲されると判断した父子は迎え撃つべく出陣、両軍はアドウォルトンの荒野で戦闘状態に入った<ref>ガードナー、P290 - P291、ウェッジウッド、P222 - P223。</ref>。
戦況は当初、議会軍の優位に進み、ニューカッスル伯は退却を考えるまでに追い込まれていた。最後に突撃をかけて効果がなければ退却を、と考えていたその突撃が議会軍左翼を壊滅させ、これに中央・右翼も動揺して議会軍は潰走状態となった。
 
戦場は沼地で高地と縁の生垣と小屋は国王軍が占拠していた。士気は議会軍が高く序盤は優勢と思われたが、2倍以上の国王軍に圧倒された上、後衛を生垣を迂回した騎兵隊に襲われ、議会軍はパニックに陥り敗走した。フェアファクス父子は命からがらブラッドフォードへ退却、そこを放棄して[[キングストン・アポン・ハル|ハル]]で市民に招かれ入城した(この町はホタム父子が支配していたが、丁度市民が反乱を起こしてホタム父子を捕らえた頃だった)。やがてトーマスは逃亡中はぐれた娘メアリーと再会、王党派の捕虜になっていた妻アンは解放され夫と再会した<ref>ガードナー、P291 - P293、ウェッジウッド、P223 - P224。</ref>。
この戦いで北部戦線における国王軍の優位は決定的となった。いっぽう議会軍主力の民兵は、その脆さを露呈させた。これによって議会軍は軍編成の改革が急務であると認識し始めた。
 
この戦いでハルを除くヨークシャーの大部分はニューカッスル伯が制圧、北部戦線における国王軍の優位は決定的となった<ref>松村、P6 - P7、ガードナー、P293、ウェッジウッド、P224。</ref>。いっぽう議会軍主力の民兵は、その脆さを露呈させた。これによって議会軍は軍編成の改革が急務であると認識し始めた。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
* [[松村赳]]・[[富田虎男]]編『英米史辞典』[[研究社]]、2000年。
* {{仮リンク|サミュエル・ローソン・ガードナー|en|Samuel Rawson Gardiner}}著、[[小野雄一]]訳『大内乱史Ⅰ:ガーディナーのピューリタン革命史』[[三省堂書店]]、2011年。
* {{仮リンク|ヴェロニカ・ウェッジウッド|en|Veronica Wedgwood|label=シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド}}著、[[瀬原義生]]訳『イギリス・ピューリタン革命<small>―王の戦争―</small>』[[文理閣]]、2015年。
 
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