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'''アドウォルトン・ムーアの戦い'''(アドウォルトン・ムーアのたたかい、[[英語|英]]:Battle of Adwalton Moor)は、[[清教徒革命]]の[[イングランド内戦]]({{仮リンク|第一次イングランド内戦|en|First English Civil War}})における[[1643年]][[6月30日]]の国王軍([[騎士党|王党派]])と議会軍([[円頂党|議会派]])の戦闘である。
一方、[[ブラッドフォード]]に駐屯していた議会軍司令官の[[ファーディナンド・フェアファクス (第2代フェアファクス卿)|ファーディナンド・フェアファクス]]卿と息子[[トーマス・フェアファクス (第3代フェアファクス卿)|トーマス・フェアファクス]]は、ニューカッスル伯の国王軍が迫ってきているとの報せを受けた。ブラッドフォードでは包囲されると判断した父子は迎え撃つべく出陣、両軍はアドウォルトンの荒野で戦闘状態に入った<ref>ガードナー、P290 - P291、ウェッジウッド、P222 - P223。</ref>。
戦場は沼地で高地と縁の生垣と小屋は国王軍が占拠していた。士気は議会軍が高く序盤は優勢と思われたが、2倍以上の国王軍に圧倒された上、後衛を生垣を迂回した騎兵隊に襲われ、議会軍はパニックに陥り敗走した。フェアファクス父子は命からがらブラッドフォードへ退却、そこを放棄して[[キングストン・アポン・ハル|ハル]]で市民に招かれ入城した(この町はホタム父子が支配していたが、丁度市民が反乱を起こしてホタム父子を捕らえた頃だった)。やがてトーマスは逃亡中はぐれた娘メアリーと再会、王党派の捕虜になっていた妻アンは解放され夫と再会した<ref>ガードナー、P291 - P293、ウェッジウッド、P223 - P224。</ref>。
この戦いで北部戦線における国王軍の優位は決定的となった。いっぽう議会軍主力の民兵は、その脆さを露呈させた。これによって議会軍は軍編成の改革が急務であると認識し始めた。▼
▲この戦いでハルを除くヨークシャーの大部分はニューカッスル伯が制圧、北部戦線における国王軍の優位は決定的となった<ref>松村、P6 - P7、ガードナー、P293、ウェッジウッド、P224。</ref>。いっぽう議会軍主力の民兵は、その脆さを露呈させた。これによって議会軍は軍編成の改革が急務であると認識し始めた。
== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
* [[松村赳]]・[[富田虎男]]編『英米史辞典』[[研究社]]、2000年。
* {{仮リンク|サミュエル・ローソン・ガードナー|en|Samuel Rawson Gardiner}}著、[[小野雄一]]訳『大内乱史Ⅰ:ガーディナーのピューリタン革命史』[[三省堂書店]]、2011年。
* {{仮リンク|ヴェロニカ・ウェッジウッド|en|Veronica Wedgwood|label=シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド}}著、[[瀬原義生]]訳『イギリス・ピューリタン革命<small>―王の戦争―</small>』[[文理閣]]、2015年。
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