「芳賀高定」の版間の差分

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'''芳賀 高定'''('''はが たかさだ'''、[[大永]]元年([[1521年]]) - [[天正]]16年([[1588年]]))は[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]・[[安土桃山時代]]の人物。[[下野宇都宮氏|宇都宮氏]]の[[家臣]]。[[本姓]]は[[清原氏]]。[[家系]]は清党の棟梁 [[芳賀氏]]。[[益子勝宗]]の三男。
 
高定は[[芳賀氏]]の一族ではなく、[[益子氏]]の一族であった。しかし、当時の芳賀氏の当主・[[芳賀高経]]が宇都宮氏に対して反抗的だったため、これを討ち果たした主君の[[宇都宮尚綱]]から芳賀氏を継ぐことを命じられたのである。
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