「上代特殊仮名遣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Hagimori (会話 | 投稿記録)
m →‎藤井游惟: 加筆訂正
119行目:
[[藤井游惟]]は、2007年に著書『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦 その言語学的証拠』<ref>藤井游惟(2007)『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦 その言語学的証拠 』東京図書出版会</ref>において、上代日本語は現代と同じ5母音であり、「上代特殊仮名遣い」とは、663年の白村江の戦いの後の後に日本に大量亡命してきた[[朝鮮語]]を母語とする帰化人書記官たちが、朝鮮語の音韻感覚で日本語の条件[[異音]]を聞き分け、書き分けたものであり、日本語はもともと5母音であったという見方を発表した。(藤井は出版以前に2001年度国語学会春季大会<ref>{{Cite web|title=国語学会2001年度春季大会|url=https://www.jpling.gr.jp/taikai/past/2001a_program.html|website=www.jpling.gr.jp|accessdate=2020-12-05}}</ref>、2002年度日本音声学会全国大会<ref>{{Cite web|title=2001-2005 « 日本音声学会|url=http://www.psj.gr.jp/jpn/annual-convention/2001-2005|accessdate=2020-12-05|language=ja}}</ref>にて論の骨子を口頭発表している)。<br>
そして藤井は、8世紀中葉から上代特殊仮名遣いが急激に崩壊してゆくのは、白村江から100年近く経ち、世襲の白村江亡命百済人書記官達が日本語しか話せない三世・四世・五世へと交代してゆくからであるとする。<br>
このページ{{どこ|date=2020年12月}}で見られるように、今日まで多くの国語学者や言語学者が、上代語の音韻体系どのようなものだったかをめぐって様々な説を唱えているが、「上代特殊仮名遣い」という現象がなぜ発生し、何故消滅したを、{{要検証範囲|誰しもが納得できる形で説明しているのは藤井のみである|date=2020年12月}}。<br>
(但し、藤井説は上のような歴史的状況証拠のみに依拠した単純な説ではなく、日本音声学会で発表しているように、上代日本語の音韻体系がどのようなものであったかを、日本語・朝鮮語・中国語の発音のビデオ映像を細密に解析したうえで、この結論を導いている)