「エミール・デュ・ボア=レーモン」の版間の差分
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|caption = エミール・デュ・ボア・レーモン<br />(Emil Heinrich Du Bois-Reymond)
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'''エミール・ハインリヒ・デュ・ボア=レーモン'''(Emil Heinrich du Bois-Reymond, [[1818年]](文政元年)[[11月7日]] - [[1896年]](明治29年)[[12月26日]])は[[19世紀]]の[[ドイツ]]の[[医師]]、[[生理学者]]。「[[エミール]]」が名前、「[[デュボア|デュ・ボア]]=レーモン」が[[姓]]である。動物筋肉中での[[活動電位]]の研究を行い、[[電気生理学]]の基礎を築いた人物の一人。[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]生理学教室教授。
科学的研究と並び、生涯最後の20年間は科学史、芸術、哲学などの広く一般の問題についても論じた<ref>
== 経歴 ==
[[ベルリン]]で生まれる<ref>
ベルリンにあるフランス語[[ギムナジウム]]で教育を受ける。19歳でギムナジウムを終え、[[ボン]]の大学に進む。当初はこれといった志望分野がなく、様々な分野の講義を手広く受講していた。その後、ベルリン大学の生理学者[[ヨハネス・ミュラー]]の元で助手をしていたエズアルト・ハルマンと知り合い、[[医学]]の道に進むことを決める。ハルマンの仲介でミュラーと知りあい、[[1840年]]([[天保]]11年)にミュラーの助手となる。
[[1843年]](天保14年)に学位を得、[[1846年]]([[弘化]]3年)、ベルリン大学に私講師として就職。
[[1858年]]([[安政]]5年)、師であるミュラーが死去。ミュラーのベルリン大学でのポストが解剖学教室と生理学教室の二つに分離される。解剖学教室がK・B・ライヒャルト(K.B. Reichert, 1811年([[文化 (元号)|文化]]8年) - 1883年
[[1867年]]([[慶応]]3年)から[[1870年]](明治3年)と[[1882年]](明治15年)から[[1883年]](明治16年)の二度にわたってベルリン大学総長を務める。[[1847年]](弘化4年)から[[1878年]](明治11年)の間、自身が創設メンバーの一人であったベルリン物理学会(現[[ドイツ物理学会]])の会長を務めた。[[血管硬変症]]によりベルリンで没。
== 電気生理学 ==
師・ミュラーの助手として、動物の筋肉中での電気現象の研究を始めた。[[筋肉]]の活動に伴う電気的現象を研究、電気生理学を科学の一分野として確立する基礎を築いた。1850年([[嘉永]]3年)、[[ガルバノ・メーター]](電流計)を研究に採用、また電磁誘導を用いた刺激実験も行った<ref name="Pearce" />。
== 自然認識の限界 ==
{{main|我々は知らない、知ることはないだろう}}
レーモンは『[[#CITEREFデュ・ボア=レーモン1928|自然認識の限界について]]』および『[[#CITEREFデュ・ボア=レーモン1928|宇宙の七つの謎]]』において、人間が持つ自然認識の限界、簡単に言えば人間が持ちうる科学的な知識の限界について論じた。レーモンの立場は「我々は知らない、そして永遠に知ることはないだろう」(イグノラムス・イグノラビムス、Ignoramus et ignorabimus)という標語に縮約される。
科学者は多くの問題について「我々は知らない」(イグノラムス、Ignoramus)ということ、つまり現時点において未解明の問題があることを認める。しかしどんな未解決の問題もいつかは解決される日が来るだろう、と多くの科学者は密かな期待を持つ。この点についてレーモンは、ある種の問題に関しては「我々がその答えを知る日は永遠に来ないであろう」(イグノラビムス、ignorabimus)ということを主張した。
== 著作 ==
*{{Cite book|和書
|translator=[[坂田徳男]]
|date=1924-11-29
|title=自然認識の限界
|publisher=生田書店
|id={{NDLJP|908105}}
|ref={{Harvid|デュ・ボア=レーモン|1924}}
}}
*{{Cite book|和書
|translator=坂田徳男
|date=1928-03-10
|title=自然認識の限界について・宇宙の七つの謎
|series=[[岩波文庫]] 青923-1
|publisher=[[岩波書店]]
|isbn=978-4-00-339231-7
|ref={{Harvid|デュ・ボア=レーモン|1928}}
}}
*{{Cite book|和書
|author1=エミール・H・デュ・ボア=レーモン
|author2=坂田徳男
|date=1980
|title=生命と思索 生理学者レーモンの謎
|publisher=医歯薬出版
|ref={{Harvid|デュ・ボア=レーモン|坂田|1980}}
}}
== 脚註 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
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* [[ラプラスの悪魔]] - フランスの数学者[[ピエール=シモン・ラプラス]]が論じた仮想の知性。レーモンはこれを「ラプラスの霊」(Laplacescher Geist)と呼んだ。
== 外部リンク ==
*{{Kotobank|デュ・ボア・レーモン}}
*{{Kotobank|デュボアレーモン}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:てゆ ほあ れえもん えみいる}}<!--カテゴリの50音順-->
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[[Category:19世紀の自然科学者]]▼
[[Category:心の哲学者]]▼
[[Category:科学史家]]
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▲[[Category:19世紀の自然科学者]]
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