「高槻中学校・高等学校」の版間の差分

|date = 2000-7-1
|isbn = 4-01-008958-X
}}</ref>、大阪高等医学専門学校(現:[[大阪医科大学]])理事長の[[藤堂献三]]が、[[京阪電]][[有田邦敬]]社長、高槻町[[礒村弥右衛門]]町長の出資を元に(旧制)高槻中学校を設立。1951年にようやく府立高校([[大阪府立島上高等学校]]、現在は統合により[[大阪府立槻の木高等学校]])が設立される際は、市から何度も校名を要請され丁重に断ったという<ref name="lucky"/>。
 
[[1947年]]新制高槻中学校を併設、[[1948年]]、新制高槻[[高等学校]]となり、[[2016年]]度まで男子の私立中高一貫校となる。藤堂は安定した医大経営を背景に、初代校長には[[灘中学校・高等学校|灘中学]]教頭[[吉川昇]]を迎え、現場には必要以上の干渉をせず教員に任せたことで、早くから進学校としての地位を確立した。[[1960年代]]には京大などの[[旧帝大]]に合格者を輩出している<ref name="lucky"/>。