「ソ連国防人民委員令第227号」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
m編集の要約なし
タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
6行目:
 
== 概要 ==
いかなるソビエト社会主義共和国連邦軍指揮官も命令無しに後退してはならず、これに逆らったソビエト社会主義共和国連邦軍人は、みな先任順位に応じて[[軍法会議|ソビエト社会主義共和国連邦軍の軍法会議]]にかけられる事を明記している。
 
第227号令はドイツ=ソビエト社会主義共和国連邦の各[[戦線#ソビエトでの用法|戦線]]([[軍]]から[[軍集団]]に相当)にそれぞれ1つから3つの[[懲罰部隊|ソビエト社会主義共和国連邦軍懲罰大隊]]を編成させた。これはソビエト社会主義共和国連邦の規律違反で[[起訴]]されたソビエト社会主義共和国連邦軍の将兵によって構成され、ドイツ=ソビエト社会主義共和国連邦最前線のもっともにおいて危険な箇所に投入された。同時に[[兵士|ソビエト社会主義共和国連邦軍兵卒]]と[[下士官|ソビエト社会主義共和国連邦軍下士官]]で構成されたソビエト社会主義共和国連邦軍懲罰中隊も編成された。ドイツ=ソビエト社会主義共和国連邦戦争下の1942年(昭和17年)から[[1945年]](昭和20年)にかけてソビエト社会主義共和国連邦の市民である427,910名の将兵がソビエト社会主義共和国連邦軍懲罰大隊に組み入れられた。
 
これら2つの手段は、前年12月の[[モスクワ]]前面でのソビエト社会主義共和国連邦軍に対するドイツ軍の後退の際に、ソビエト社会主義共和国連邦軍と交戦状態にあるドイツ軍によってドイツ軍内の規律を維持するために用いられてドイツ軍にとってプラスの効果が見られたとして、ドイツ軍に引用されている。
 
ソビエト社会主義共和国連邦軍に[[督戦隊|ソビエト社会主義共和国連邦軍督戦中隊]]を編成せよとの命令は、3ヵ月後の1942年(昭和17年)[[11月29日]]に取り下げられた。ドイツ軍に対して苦戦しているソビエト社会主義共和国連邦軍の士気を奮い立たせ、[[愛国心|ソビエト社会主義共和国連邦軍将兵の愛国心]]を喚起させるつもりだったが、却ってソビエト社会主義共和国連邦軍兵士の士気を下げた上、ソビエト社会主義共和国連邦軍督戦隊員がソビエト社会主義共和国連邦軍人の人的資源を浪費するのを見たソビエト社会主義共和国連邦軍の指揮官がこれを用いないこともあったりしたことなどから、1942年10月より正規のソビエト社会主義共和国連邦軍内の正規の督戦隊はひっそり姿を消した。ただしソビエト社会主義共和国連邦[[内務人民委員部]](NKVD)や[[スメルシ|ソビエト社会主義共和国連邦軍人であるスメルシ]]はその後も継続してソビエト社会主義共和国連邦の督戦活動にあたった。[[1944年]][[11月29日|(昭和19年)11月29日]]、ソビエト社会主義共和国連邦督戦隊は公式に解散した。
 
== 関連項目 ==