「アントワープ証券取引所」の版間の差分

在アントワープの[[イギリス王室]]金融代理人の貿易商[[トーマス・グレシャム]]も、イギリスでの取引所の設立を指揮するにあたり、このアントワープ証券取引所をモデルとした。1565年に設立された[[ロンドン王立取引所]]の当初の呼称も「ブルス」({{lang-fr|Bourse}}、証券取引所の意味)であった。ただこの名称は、1570年1月23日に[[エリザベス1世]]が訪問した際に変更され、英語で「王立取引所」(Royal Exchange)と呼ばれるようになった<ref>[http://www.british-history.ac.uk/report.aspx?compid=45060 British-history.ac.uk: Old and New London: Chapter XLII, The Royal Exchange] (Walter Thornbury, 1878)</ref>{{sfn|エイミー・バトラー・グリーンフィールド|2006|p=1}}。
 
オランダでは<!--引き続き、1592年にはミデルブルフ証券取引所、1595年にはロッテルダム証券取引所、1611 -->1602、[[オランダ東インド会社]] (Verenigde Oostindische Compagnie, "VOC") よってアムステルダム証券取引所が設立され[[株式]]や[[債券]]、また初めて[[有価証券]]が取引されるようになった([[ユーロネクスト・アムステルダム]]の前身)。建物はのちの1903年に建築家[[ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ]]設計の建物に建て替えられ{{仮リンク|ベルラーヘ証券取引所|en|Beurs_van_Berlage|preserve=1}}とも通称された。
 
このうちアムステルダム証券取引所は、建物は後々の1903年に建築家[[ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ]]設計のものに取って替わったが、{{仮リンク|ベルラーヘ証券取引所|en|Beurs_van_Berlage|preserve=1}}([[ユーロネクスト・アムステルダム]]の前身)となった。
 
== 建築物 ==