「笑福亭光鶴」の版間の差分

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| 没月 = 1
| 没日 = 17
| 師匠 = [[三遊亭圓若#2代目|桂三路]]<br />[[笑福亭松鶴#4代目|4代目笑福亭松鶴]]
| 弟子 =
| 名跡 = 三笑<br />3代目笑福亭光鶴
'''3代目 笑福亭光鶴'''(? - [[1936年]][[1月17日]])は、本名: 池田熊吉。享年不詳。
 
[[1915年]]、[[1916年]]ころに初め[[新桂派]]の桂三路(後の[[三遊亭圓若#2代目|2代目三遊亭圓若]])の門下で三笑と名乗る。[[浪花落語反対派|反対派]]、[[三友派]]等に移った後、[[1921年]]に[[笑福亭松鶴#4代目|4代目笑福亭松鶴]]の門下に移り、3代目光鶴を襲名。三友派では若手連「[[落語研究会 (落語会)|民衆落語研究会]]」に参加。[[吉本興業|吉本]]と互壊してからは兄弟子の[[笑福亭松鶴 (5代目)|5代目松鶴]]らと共に[[1926年]]に「花月ピクニック」なる噺家グループを組織し、若手として活躍。晩年は[[漫才]]が主流になり不遇の時代が続いた。[[大正]]時代には[[SPレコード]]も吹き込んでいる。得意ネタは「せむし茶屋」「[[くっしゃみ講釈]]」が得意だった。
 
== 出典 ==