「板谷四郎」の版間の差分

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== 経歴 ==
20歳の時に召集され、中国大陸を転戦<ref>『将棋世界』2021年1月号P.211 [[田丸昇]]「昭和名棋士・次の一手」</ref>。3回にわたる召集で軍隊生活は8年以上におよび、1945年、鹿児島で終戦を迎える。
[[1940年]]、26歳の時に木村義雄名人(当時)門下で[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会(二段)。[[1941年]]に四段(プロ入り)。1950年度の第1期[[十段戦 (将棋)|九段戦]]で準優勝。[[1954年]]に[[全八段戦]]優勝。[[1959年]]に引退。[[名古屋市]]において[[日本将棋連盟]]東海本部長を長く務めたほか、[[板谷進]]、[[石田和雄]]、[[北村文男]]らの弟子を育成した。[[1995年]][[肺気腫]]のため82歳で死去。
 
[[1940年]]、26歳の時に木村義雄名人(当時)門下で[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会(二段)。[[1941年]]に四段(プロ入り)。1950年度の第1期[[十段戦 (将棋)|九段戦]]で準優勝。[[1954年]]に[[全八段戦]]優勝。[[1959年]]に引退。[[名古屋市]]において[[日本将棋連盟]]東海本部長を長く務めたほか、[[板谷進]]、[[石田和雄]]、[[北村文男]]らの弟子を育成した。[[1995年]][[肺気腫]]のため82歳で死去
 
[[1995年]][[肺気腫]]のため82歳で死去。
 
[[1986年]](昭和61年)春、勲五等双光旭日章を受章<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author= |year=2014 |title=平成26年版 将棋年鑑 |publisher=日本将棋連盟 |page=614 |id= |isbn=978-4-8399-5175-7 }}</ref>。