「和台遺跡」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
INFOBOX設置、出典付加、注釈化
1行目:
{{出典の明記|date=2020年3月}}
{{Infobox ancient site
{{Location map|Japan Fukushima Prefecture|label=和台遺跡|position=top|width=220|mark=Red pog.svg|marksize=7|relief=1|caption={{Center|和台遺跡の位置}}}}
| name = 和台遺跡
| image =
| image_size = 300px
| alt = 和台遺跡
| caption =
| map_type = Japan Fukushima
| latd = 37 | latm = 39 | lats = 02 | latNS = N
| longd = 140 | longm = 31 | longs = 45 | longEW = E
| coordinates_display = title
| location = [[福島県]][[福島市]][[飯野町明治]]
| type = 遺跡
| built =
| material =
| public_access =
|epochs=[[縄文時代]]|other_designation=国[[史跡]](2006年指定)|management=福島県}}
 
'''和台遺跡'''(わだいいせき)は、[[福島県]][[福島市]][[飯野町明治]]字南和台に所在する[[縄文時代]]中期の集落遺跡。国の[[史跡]]に指定されている。
 
9 ⟶ 25行目:
 
== 検出遺構 ==
福島県教育委員会による発掘調査の結果、約230軒の[[竪穴住居]]、[[掘立柱建物]]、土器埋設遺構([[埋甕]])<ref>{{refnest|group="注釈"|土坑墓が[[成人]]の墓であるのに対し、土器埋設遺構(埋甕)は[[子ども]]の墓と考えられている。</ref>}}、[[土坑]]などの[[遺構]]を検出している。
 
集落は、大木10式期に相当する縄文時代中期末葉に最盛期をむかえており、その構造は、中央広場と考えられる空閑地に接して外側に掘立柱建物、さらにその外周帯には竪穴住居群が同心円構造をなしてドーナツ状(円環状)にめぐる、いわゆる[[環状集落]]である。竪穴住居の多くは、[[大木式土器]]文化圏(ほぼ現在の[[秋田市]]-[[仙北市]]-[[盛岡市]]-[[宮古市]]を結んだ線より南の[[東北地方]]一帯)の縄文時代中期後半に特徴的な[[複式炉]]<ref>{{refnest|group="注釈"|和台遺跡に近接して、「複式炉」の命名紀元起源となった[[白山遺跡]]が立地する。</ref>}}をともなう。
 
土坑の多くは[[貯蔵穴]]で、竪穴住居の分布域の外側では特に濃密に分布している。中央広場周囲に散見される土坑は、[[人骨]]がほとんど確認されていない<ref nameものの{{refnest|group=hone>"注釈"|台地上にある土坑墓では、乾湿を繰り返したり、基盤となる[[土壌]]の多くが[[酸性]]であることによって[[カルシウム]]分が土中に溶融して人骨が失われる例が多い。ただし、焼骨はその限りではない。</ref>もの}}、その形状や規模、また[[覆土 (考古学)|覆土]]の様子から[[土坑墓]]である可能性が高く、そうだとすると、中央の広場は共通の先祖を[[祭祀]]する空間として利用されたことも考えられる。
 
以上の縄文時代中期末葉の遺構群に対し、遺跡北東に広がる[[斜面]]部分には、それよりも一時期古い貯蔵穴群が分布している。
 
== 出土遺物 ==
[[遺物]]としては、全国でも他に類例のほとんどない人体文土器、[[南東北]]地方ではそれまで出土例のなかった狩猟文土器をはじめ、数多くの[[縄文土器]]、[[石器]]、[[骨角器]]、動植物遺存体などが出土している。人骨は1体のみ出土しており、焼かれたために残ったものである<ref name=hone/>。当時は[[土葬]]が一般的であったため、なぜ1体のみ[[火葬]]されたのか謎とされる<ref>{{refnest|group="注釈"|日本で火葬の習慣が広まったのは、[[仏教]]伝来以降である。</ref>}}
 
また、[[黒曜石]]や[[ヒスイ]]、海洋性の[[魚]]骨類、さらに[[関東地方]]・[[北陸地方]]・[[中部地方]]の影響を受けた土器も出土しており、遠隔地ともはば広い[[交易]]、交流が認められる。
25 ⟶ 41行目:
:人体文土器は、第39号住居跡の床面中央に埋設されていた。土器は残存高32センチメートル、直径28センチメートルで底部が欠損している。胴部のふくらんだ部分には帯状に[[すす]]状[[炭化物]]が付着していたが、住居床面に全体がすっぽり埋められていたことから、ススはそれ以前に付いたものと考えられる。おそらくは、特別につくられ、祭祀や[[儀礼]]など特別な用途で使用されたのち、[[炉]]として転用されたものと推定できる。人体文の文様部分は身長20センチメートルで、[[顔]]の部分の造形に高い芸術性が認められる。
;狩猟文土器
:狩猟文土器は、[[北東北]]地方([[円筒土器文化圏]])には出土例があったものの<ref>{{refnest|group="注釈"|青森市山野峠(さんのとうげ)遺跡で出土した土器片を接合したところ狩猟文土器であることが分かった。文様はすべて粘土紐を貼り付けた突帯文である。頸部に取っ手が等間隔に四カ所付けられている。その取っ手からつい勅に突帯を造り出し縦に4等分しており、さらに胴部を上下に二つに分けている。下段の4面には動物を左右から弓矢で射るような文様がつけられている。上段の文様は樹木や罠と推定されている。</ref>}}、南東北地方では初の出土であり、従来想定されていた狩猟文土器の分布圏に見直しをせまる成果となった。この種の土器は縄文時代中期末から後期前葉の青森県、北海道南部、岩手県などで十数例発見されている。文様は樹木や動物、罠や落とし穴などである。葬送儀礼や狩猟、動物祭祀に使用されたとみられている。
 
なお、出土した人体文土器、狩猟文土器は福島県指定の[[有形文化財]](県指定重要文化財)となっている<ref>[https://www.fcp.or.jp/mahoron/bunkazai/nakadoori.html 中通りの遺跡「和台遺跡」] - 「まほろん」公式サイト</ref>
 
== 遺跡性格 ==
37 ⟶ 53行目:
 
== 史跡指定 ==
[[2006年]](平成18年)[[7月28日]]、南東北を代表する拠点的な環状集落であり、縄文時代の集落構造や精神生活、生業、さらに縄文社会の様相を知る上で重要であるとして、国の史跡に指定された<ref>
[https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/00003497 国指定文化財等データベース「和台遺跡」]</ref>。
 
[[2008年]](平成20年)8月24日、福島市と[[伊達郡]][[飯野町 (福島県)|飯野町]]の合併を記念して福島市主催「和台・宮畑遺跡縄文まつり」が飯野小学校でおこなわれた。これは、同年[[7月1日]]の合併によって新福島市に所在する縄文時代の史跡が和台遺跡と[[宮畑遺跡]]の2箇所になったことにより、史跡の保存や活用をいっそう進展させることを目的とするもので、小学生らが火おこしや[[土偶]]作りを体験した。また、両遺跡をパネル展示等で紹介したほか、土器焼成の実演もおこなった。
43 ⟶ 60行目:
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
55 ⟶ 75行目:
 
== 外部リンク ==
* [httphttps://www.mahoron.fksfcp.edor.jp/mahoron/bunkazai/229nakadoori.htmhtml 中通りの遺跡「和台遺跡」(福島県文化財センター「まほろん」公式Webサイトより)]:人体文土器の画像あり
* [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース]
* [http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20080824ddlk07040178000c.html 和台・宮畑遺跡縄文まつり](毎日新聞)
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:わたいいせき}}
{{Coord|format=dms|type:landmark_region:JP-07|display=title}}
{{DEFAULTSORT:わたいいせき}}
[[Category:縄文時代の遺跡]]
[[Category:福島県の考古遺跡]]