「カール・ラートゲン」の版間の差分

東京帝国大学(現在の[[東京大学]])に雇われ、[[行政]]等の法学に関する多くの学問の教鞭を執った。また、同時期に[[農商務省 (日本)|農商務省]](現在の[[経済産業省]]及び[[農林水産省]])にも雇われ、[[取引所]]関係の制定に携わる等[[法律]]や[[経済]]における[[日独関係|日本とドイツの関係]]の向上に貢献した。
 
[[1890年]](明治23年)に任期満了となり帰国。帰国後も法律関係の仕事に就き、[[フィリップ大学マールブルク|マールブルク大学]]や[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]で法学の教鞭を執った。1919年設立された[[ハンブルク大学]]で初代学長も務める。
 
== 著書 ==