「小金牧」の版間の差分
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→制定と牧士頭の任命: 野馬奉行へ引越し |
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牧を管理した現地役人は[[牧士]](もくし)と呼ばれ、苗字帯刀等武士の格式を持ち、鞍を置いての乗馬、野犬等から馬を守るための鉄砲の所持携行も認められた。'''牧士'''は文武天皇の代に設けられた職制・身分<ref name="east1"/>で、[[呉音]]訓である事も古い起源を裏付ける。当地域での任命は[[北条氏政]]の弘治年間<ref name="east1"/>で牧の原型の成立も同時期である事を示す。初期は主に千葉氏・高城氏の旧臣、後には地元の名主等が牧士に任命された。
世襲の牧士頭、享保年間以降の野馬奉行も小金の綿貫家が任命された。名は初代が重右衛門でその後は夏右衛門とした場合が多い<ref name="east1"/>。綿貫氏は千葉氏一族で、相馬氏ともつながり、[[小金城]]主[[高城氏]]の姻戚である。詳しくは[[野馬奉行]]参照。
野馬奉行は房総の三牧を支配した<ref name="east2"/>。野馬奉行綿貫氏邸に、14代将軍の乗鞍・水戸家所賜太刀・赤穂義士岡島某所帯短刀があり<ref name="east2"/>『房総町村と人物』では将軍の鞍は3組としている。野馬奉行の屋敷については後述する。
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