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近年、C.S.ルイスは「痛みの問題」という作品の中で学究的な立場を取っている。 ルイスは矛盾についてアキナスの見解に従う。 彼の全能とは本質的に可能なことを全てする力であって、本質的に不可能なことをする力を意味する。 奇跡を彼のせいにしてもよいが、ばかげたことではない。 これは彼の権力の限界ではない。 「神は、生き物に自由意志を与えることができると同時に、自由意志を与えない」と言うことを選択した場合、あなたは、神について何も言うことができません。意味のない言葉の組み合わせは、単に私たちが他の2つの単語の前に「神は与えることができる」という言葉をつけたからといって、突然意味を得ることはできません。...神はできる』…… 最も弱い生物互いに排他的な二つの選択肢の両方を実行することは、神にとって最も弱い生き物が実行するのと同様に不可能である。神の力が障害にぶつかるからではなく、神について話してもナンセンスなままだからである <ref>C.S. Lewis, The Problem of Pain</ref>。
 
また、論理学に基づいて全能性を説明し、割り当て、拒絶する理論を展開しようとしても、デカルトの見解である全能性は論理学よりも優れていることを意味する。 トーマス·アキナスは神の力を理解することの難しさを認めた。「神は全能であるということを誰もが白状する。しかし、神の全能が何であるかを正確に説明することは難しいようだ。神が全てのことを行うことができると言うとき、「全て」という言葉の正確な意味に疑問があるかもしれないからだ。 しかし、もし私たちがそのことを正しく考えるなら、権力は可能なことを指しているので、「神は全てのことをすることができる」というこの言葉は、神が可能なことを全てすることができるということであり、そのため全能であると言われています <ref>Thomas Aquinas, Summa Theologiae, 1a, Q. 25, A. 3, Respondeo; quoted from The Summa Theologica of St. Thomas Aquinas, Second and Revised Edition, 1920</ref>。