「マルクス・アエミリウス・スカウルス」の版間の差分

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選挙戦
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===執政官===
紀元前115年、スカウルスは[[マルクス・カエキリウス・メテッルス]]と共に[[執政官]]に選出された。このときの選挙の対立候補は[[プブリウス・ルティリウス・ルフス]]であったが、落選したルティリウスはスカウルスを贈賄で訴えた。スカウルスは無罪を勝ち取り、ルティリウスを賞賛して彼に対し同様の訴訟を起こしたという<ref>キケロ『ブルトゥス』113</ref>。この訴訟で彼らが繰り広げた知恵比べの様子が伝わっている。スカウルスはルティリウスの手紙にA. F. P. Rと書かれていることを示し、これは[[ラテン語]]で「プブリウス・ルティリウスの信義に基づいて取引された」という意味だと主張した。これに対しルティリウスは「以前行われ、後に取り戻された」だと主張したが、ガイウス・カニウスに否定された。彼はどちらの主張も信じなかった。「ではどういう意味なのかね」とスカウルスが問うと、カニウスは「アエミリウスは有罪、ルティリウスは処罰される」と答えたという<ref>キケロ『弁論家について』2.280</ref>。
 
任期中、プラエトル、プブリウス・デキウスが、スカウルスに対して起立して敬意を示さなかったため立腹し、彼の服を破りその椅子を叩き壊すと、彼に係争を裁かせてはならぬと宣言したエピソードも残っている{{Sfn|ウィクトル|loc=72}}。スカウルスは倹約のため食事の種類や量を規制する法を制定している<ref>[[アウルス・ゲッリウス]]『アッティカの夜』2.24.12</ref>。また、[[解放奴隷]]の投票に関する法も提出し、[[リグリア]]人やタウリスキ人に勝利して[[凱旋式]]も挙行している{{Sfn|ウィクトル|loc=72}}。彼の軍規は非常に厳しく、陣地に野生の果実が生えていても、誰一人手を付けるものはいなかったという<ref>[[セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス|フロンティヌス]]『Strategemata』4.3.13</ref>。