「南満州鉄道の歴史」の版間の差分

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'''南満洲鉄道の歴史'''(みなみまんしゅうてつどうのれきし)では、[[日露戦争]]の勝利によって[[大日本帝国|日本]]が[[ロシア帝国|ロシア]]から獲得した[[満洲]]南部の鉄道とその付属事業を経営するために設立された半官半民の[[国策会社]]、[[南満洲鉄道株式会社]](略称:「満鉄」)の消長について説明する。
 
南満洲鉄道は[[ロシア帝国]]が[[シベリア鉄道]]の[[支線]]として敷設した[[東清鉄道]]の一部で、[[1905年]]([[明治]]38年)、[[ポーツマス条約]]によってロシアより譲渡された[[新京]](現在の[[長春]])~[[旅順]]間の鉄道を基礎として[[1906年]]([[明治]]39年)に設立された<ref name="kotobank-mantetsu">{{コトバンク|南満州鉄道}}</ref>。[[満洲国]]建国後の[[1935年]]([[昭和]]10年)、鉄道売却の協定が成立して、形式上は満洲国の所有に帰し、[[満洲国有鉄道]]全線の運営や敷設をおこない、[[鉱工業]]を中心とする他の産業諸部門にも進出して日本の満洲経略上の重要な拠点となった<ref name="kotobank-mantetsu" />。[[第二次世界大戦]]後、[[1945年]]([[昭和]]20年)の[[ヤルタ協定]]によって中ソ共同経営となったが、[[1952年]]には[[中華人民共和国]]{{efn|[[中華民国]]は国共内戦に敗北して大陸より放逐された。1949年10月1日に[[中華人民共和国]]が大陸地区なっ建国され<ref>{{コトバンク|中華人民共和国}}</ref>}}に返還された<ref name="kotobank-mantetsu" />。
 
== 桂・ハリマン協定と満洲問題協議会 ==