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==人物・来歴==
1936年召集を受けて満州へ。1941年『満洲新聞』の東京支社特派員として勤務。戦後は、新聞協会、「世界月報」「世界経済」など新聞社に勤務しながら小説を執筆。
[[1942年]]、[[田辺茂一]]の紹介で、望月と[[川端康成]]の媒酌で結婚<ref name="hideko5">「第五章 鎌倉文庫」({{Harvnb|秀子|1983|pp=173-196}})</ref>。
父は[[広島市への原子爆弾投下|広島の原爆]]で死去。
[[1948年]]、第1回[[水上滝太郎賞]]を受賞。
「[[週刊サンケイ]]」編集長、[[産経新聞]]文化部長,1962年『[[週刊TVガイド]]』初代編集長。退任後、「集団形星」を作り、作家とテレビの間のエージェント業をやる。続いて雑誌、出版をしたあと倒産、「けいせい」として再出発する<ref>江國滋『鬼たちの勲章』</ref>。
後に、[[けいせい出版]]社長、「週刊サンケイ」編集長、[[産経新聞]]文化部長などを務めた。
弟は産経新聞論説委員の平野光雄。
執筆時は'''久我三郎'''、'''鈴木康之'''の筆名を使った。