「終末論」の版間の差分

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[[20世紀]]の[[スイス]]の[[神学者]]・[[カール・バルト]]も、主著『ロマ書』で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて……その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。……再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒(めざめ)が遅延しているのである」と言い、「終末は既に神によってもたらされている」という認識である。
 
'''=== 新約聖書にある終末信仰の確立''' ===
 
* 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの[[終末観]]を表明した<ref>執筆の主な目的は、再臨の時まで生き残るパウロたちに比較して、再臨前に死亡した信徒たちは何らかの不利益を蒙るのではないかというテサロニケの信徒たちからの問いに答えるためであった。[[#岩波委員会訳|新約聖書翻訳委員会]] 2004, p. 920.(テサロニケ第一の手紙の解説、青野)</ref>。この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている<ref>[[#岩波委員会訳|新約聖書翻訳委員会]] 2004, p. 494.(テサロニケ第一の手紙4:15における注12 保坂)</ref>。テサロニケの信者は下記の予測についての[[終末]]信仰を始めた。
* 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した<ref>[[#岩波委員会訳|新約聖書翻訳委員会]] 2004, p. 921.(コリント第一の手紙の解説、青野)</ref>。コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、[[不死]]なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた<ref>この手紙においてもテサロニケの手紙と同様に、再臨の時まで生き残るというパウロの確信が依然として表明されている。[[#岩波委員会訳|新約聖書翻訳委員会]] 2004, p546コリント人への第一の手紙第15:51における注6</ref>。
* 95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される<ref>[[#岩波委員会訳|新約聖書翻訳委員会]] 2004, p. 939.</ref>。パウロの死んだ年は65年ころとされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為された。小アジアの信者は天にてキリストの支配がはじまったという終末信仰を始めた<ref>ヨハネ黙示録 12:10</ref>。キリスト教的な終末信仰が確立した。
 
キリスト教の終末観といった場合、ヨハネ黙示録を考証されることが多いが、新約聖書を歴史的な文書としてみる立場<ref>『新約聖書』岩波書店 はしがき 新約聖書翻訳委員会</ref>からは、この黙示録は文学作品として扱われることがある。岩波書店の『新約聖書』(2004年)においては、新しい神支配の経綸を象徴的に解釈開示するキリスト教的黙示文学作品であるとされている。<ref>『新約聖書』岩波書店P939(ヨハネの黙示録解説 小河陽)</ref>
 
=== ナザレのイエスが語った終末観 ===
 
ナザレのイエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている。<ref>『新約聖書』岩波書店P495(1テサ5:1の注19 青野)</ref>なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており<ref>『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P55、P57</ref> 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。テサロニケ第一の手紙が書かれてから40年ほどしてからヨハネ福音書が書かれた。<ref>詳細については、[[キリスト教#福音書等の成立年代と著者]]を参照。</ref>ヨハネ福音書<ref> 執筆年代は90年代、著者は無名の作者で、彼をよく理解した別の人物が今の形に成したとされる。『新約聖書』岩波書店P918 (ヨハネ福音書の解説 小林)</ref>はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている。<ref>『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会</ref>ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。<ref>『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会</ref>
 
== 仏教 ==