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[[ファイル:Leander_Amiga500.jpg|thumb|300px|Amiga 500はゲームコンソールとしてゲーマーの支持を受けた。ちなみに画像は英シグノシス社『Leander』で、パッケージに日本語であおり文が書かれているなどオタクブームの影響を受けた作品の一つ]]
 
1986年頃、後に日本の代表的なAmigaユーザーの一人となるミュージシャンの[[平沢進]]がAmiga上で動作する"Juggler"と呼ばれる[[メガデモ]]に出会っている。この頃からAmigaに個人的な興味を持ち始め、1988年前後にアパートの一室で営業していた販売店で積み上げられていたAmiga1000の1つを購入し、自宅での個人使用を開始している。この当時はまだパソコンの使用方法に関する情報が乏しく、特にAmigaに至っては日本で全くといっていいほど知られておらず、さらには本体に付属されるべき説明書すらない中で組み立て時から試行錯誤しながら使用方法を徐々に習得して行ったという。Amigaを使用したパソコン通信接続も試みている。<ref>{{Cite book|和書|title=来なかった近未来|date=2012-04-09|year=2012|publisher=株式会社ファッシネイション|author=平沢進|url=https://shop2.fascination.co.jp/products/detail/2}}</ref>
 
1987年には廉価版の[[:en:Amiga 500|Amiga 500]]とハイエンド版のAmiga 2000がリリース。Amigaは倒産まで廉価版とハイエンド版の二本柱でリリースされた。「ゲームパソコン」として、人気ゲームやジョイスティックと共に購入されることを前提で販売されたAmiga 500はゲーマーに好評を受けたが、699米ドルと廉価ながら使いやすいGUIによるOSを搭載していたため初心者ユーザーの支持も大きかった。
 
 
===競合との競争激化 (OS Ver.2)===