「南大東島」の版間の差分

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*[[1885年]] 日本が北大東島と共に領有を諸外国に宣言。[[沖縄県]]に編入される<ref name="kitadaito2">{{Cite web|url=http://vill.kitadaito.okinawa.jp/history/history1.html|title=島の歴史|publisher=北大東村|accessdate=2016-08-17}}</ref>。
*[[1900年]] [[玉置半右衛門]]を中心とした[[八丈島]]からの開拓団により、大東諸島の開拓が開始される。
*: 戦前は、南大東島で製糖業を営む企業である玉置商会〜東洋製糖〜[[大日本製糖]]が島全体を所有していた。特例として[[町村制]]は施行されず、それらの各企業に島の自治が全面的に委ねられていたため、日本の[[行政]]機関による地方行政がおよばず、公的届出なども事実上不可能な「社有島」であった。島民は、一部の管理的役職の者を除けば全て製糖会社に[[サトウキビ]]を納める[[寄生地主制|小作農]]であり、島への渡航手段から[[店|商店]]・学校・郵便局などにいたるまで全て社有であった。また、島民は重労働を強いられた上に収穫されたサトウキビは安く買い叩かれたほか、無許可の離島が禁じられるなど厳しい監視下に置かれていた。一方で、戦前この島を支配していた大日本製糖は「この島こそが[[植民地]]経営の最も貴重な参考資料である」と自画自賛していた<ref>[http://web.archive.org/web/20190326214522/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/company2 会社統治領(無人島開拓編)]</ref>{{信頼性要検証|date=2020年12月}}
*[[1914年]] 八丈島系住民と沖縄系住民の対立激化。
*[[1919年]] 大東寺建立。この頃、島内の人口が4,000人を超える。