「パッタダカル」の版間の差分

出典追加、出典付加、加筆
(出典追加、出典付加、加筆、修正、脚注を出典と注釈に分ける、画像追加・位置変更、INFOBOX設置、仮リンク設置)
(出典追加、出典付加、加筆)
url_no = 239|
}}
'''パッタダカル'''(''Pattadakal''、[[カンナダ語]]:ಪಟ್ಟದಕಲ್)は、[[インド]]の[[カルナータカ州]]北部に立地する村。[[前期チャールキヤ朝|チャールキヤ朝]](前期)の首都{{仮リンク|バーダーミ|en|Badami}}の北東12キロメートル、{{仮リンク|マラプラバー川|en|Malaprabha River}}西岸に立地する<ref name="yamazaki178">[[#山崎|山崎(1961)pp.178-179]]</ref>。旧名は'''ケスヴォララ'''<ref name="yamazaki178" />
 
== 「戴冠の都」パッタダカル ==
[[ファイル:Chalukya territories lg.png|280px|right|thumb|前期チャールキヤ朝の最大版図(7世紀)]]
[[前期チャールキヤ朝|チャールキヤ朝]]の首都は{{仮リンク|バーダーミ|en|Badami}}(旧名は、ヴァーダーピ''Vādāpī'' )であったが、王族は「戴冠の都」としてパッタダカルを愛し、[[6世紀]]から[[8世紀]]にかけてはチャールキヤ朝第2ないし第3の都市として繁栄した<ref name="kotobank">{{コトバンク|パッタダカル}}</ref>{{refnest|group="注釈"|この時期は北インド全体を統一するような大帝国は出現せず、各地域政権のもとで独自の民族文化が開花した地方文化の時代であった<ref name="karashima70">[[#辛島1|辛島(1991)pp.70-72]]</ref>。特に[[ドラヴィダ]]系においてはチャールキヤ朝や[[パッラヴァ朝]]に後続する[[チョーラ朝]]のもとで著しい地方文化の進展がみられた<ref name="karashima70" />。}}。当初は宗教的に重要な地ではない単なる村落であったが、チャールキヤ朝の王室がこの地に他よりも寺院建立をさかんに行うようになった<ref name="yamazaki178" />
 
奇跡的に破壊を免れたパッタダカルの遺跡群は「寺院都市」の典型を示し、また、[[南インド]]様式と[[北インド]]様式の[[寺院]]が混在することでも知られている<ref name="kotobank" />。寺院のシカラ(塔)について、南インド型と北インド型の2つの基本的な型が一つの地にみられるのは、パッタダカル以外ではバーダーミ近郊のマハークティのみであり、きわめて特徴的である<ref name="yamazaki179">[[#山崎|山崎(1961)pp.179-181]]</ref>。
 
パッタダカルの寺院群は、[[1987年]]、「'''パッタダカルの建造物群'''」として、[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)[[世界遺産]]の[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]に登録された<ref name="kotobank" />。
 
== パッタダカルの寺院群 ==
6世紀から8世紀にかけてのヒンドゥー教建築は、階段状ないし[[ピラミッド]]形をした南部の様式{{refnest|group="注釈"|「ドラヴィダ様式」とも呼称する。}}と[[砲弾]]形ないし[[トウモロコシ]]形をした北部の様式が混在し、現在、9寺院が残っており、すべて東に向かって建てられている<ref name="yamazaki178" />。また、すべて[[宇宙]]の[[破壊]]と[[創造]]を司る[[シヴァ神]]を祀ったものである。り、遺跡では寺院が北から南にかけてほぼ年代順に並んでいる。
 
7代目の王、{{仮リンク|ヴィジャヤーディティヤ|en|Vijayaditya}}(在位:696年 - 733年)の時代に建てられた寺院が'''サンガメーシュヴァラ寺院'''である<ref name="yamazaki178" />。[[リンガ]]を祀っており、屋根を階段状に水平に積み上げる南部様式の寺院である<ref name="yamazaki178" />。
{{仮リンク|ヴィクラマーディティヤ2世|en|Vikramaditya II}}(位733/4年~744/5年)は、[[インド半島]]南東部の[[タミル人]]王朝[[パッラヴァ朝]]の建築文化が高水準であることに感銘を受け、[[建築家]]グンダを招聘して南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招いてパッタダカルに多くのヒンドゥー寺院を建設した<ref name="kotobank" />。これらの寺院群は、パッラヴァ朝の[[カーンチプラム]]の寺院群の影響を強く受けた南部の様式によって建てられた{{refnest|group="注釈"|パッラヴァ朝やチャールキヤ朝では、北インドの[[グプタ朝]]のもとに完成されたヒンドゥー教的社会秩序を範とした統治がなされたものの同時代の北インドの諸地域に比較すれば柔軟性があり、[[シヴァ神]]や[[ヴィシュヌ神]]についても儀礼に拘泥されない[[バクティ]]信仰のかたちで受け止められ、展開された<ref name="karashima79">[[#辛島|辛島(1991)pp.79-82]]</ref>。これは逆に北インドのヒンドゥー思想のあり方へも多大な影響をあたえた<ref name="karashima79" />。}}。
 
8代目の王、{{仮リンク|ヴィクラマーディティヤ2世|en|Vikramaditya II}}(在位:733/4年 - 744/5年)は、[[インド半島]]南東部の[[タミル人]]王朝[[パッラヴァ朝]]の建築文化が高水準であることに感銘を受け、[[建築家]]グンダを招聘して南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招いてパッタダカルに多くのヒンドゥー寺院を建設した<ref name="kotobank" />。この王には、2人の姉妹の妃がおり、姉が建てたローケーシュヴァラ寺院は'''ヴィルーパークシャ寺院'''に、妹の建てたトゥライローケーシュヴァラ寺院は'''マリカールジュナ寺院'''に、それぞれ碑文によって比定されており、このことは建築様式の面からも確かめられている<ref name="yamazaki178" />。また、姉の建てた寺院の方が妹の寺院よりも古いことが判明している<ref name="yamazaki178" />。
 
サンガメーシュヴァラ寺院を含む、これら3寺院はいずれもリンガを祀っており、建立者の名にシヴァを意味するイーシュヴァラの語を付して呼称される<ref name="yamazaki178" />。寺院に建立者の名を付するのは、比較的一般的なことであったものと考えられる<ref name="yamazaki178" />。
 
[[ファイル:Pattadakal Virupaksha Temple.jpg|280px|right|thumb|'''ヴィルーパークシャ寺院'''
----
ヴィマーナの手前に列柱廊に囲まれたマンダパ(拝堂)があり、その三方に入口のポーチが設けられている(画面左側)]]
 
なかでも、パッタダカルで最大規模をほこる'''ヴィルーパークシャ寺院'''は [[8世紀]]にパッラヴァ朝との戦いに勝利して凱旋したヴィクラマーディティヤ2世の栄光を記念するため、王妃ローカ・マハーデーヴィの命で造営され、グンダが設計を担当した寺院である<ref name="kotobank" /><ref name="2karashima159">[[#辛島2|辛島(2004)pp.159-160]]</ref>。当時は、上述のとおり王妃の名よりローケーシュヴァラ寺院と呼称されたという<ref name="yamazaki178" />。石でできた壮大な寺院の壁には、悪魔を退散させる無数のシヴァ神像が彫刻されており、3段構造の[[ヴィマーナ]](本堂)が戦勝を記念して寺院群の中にそびえる。寺院正面にはシヴァ神に仕える牡牛[[ナンディン]]の像がある。
 
{{仮'''マンク|カールジュナ寺院'''はヴィクラマディティヤパークシャ寺院をやや小規模にしたもので、やはり王の戦勝記念に妹の第2世|en|Vikramaditya王妃が造営したといわれている<ref name="yamazaki178" II}}(位733/4年~744><ref name="2karashima159" /5年)>。いずれも屋根は、[[インド半島]]南東部の[[タミル人]]王朝[[パッラヴァ朝]]の建築文化が高準であ平層を階段状に積み重ねこと形式感銘を受け、[[建築家]]グンダを招聘しなっ南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招てパッタダカルに多くのヒンドゥー寺院を建設した<ref name="kotobankyamazaki178" />。これらの王妃たちが建てた寺院は、パッラヴァ朝の[[カーンチプラム]]の寺院群の影響を強く受けた南部の様式によって建てられ、ともに{{仮リンク|カーンチのカイラーサナータ寺院|en|Kanchi Kailasanathar Temple}}の影響がみてとれる<ref name="yamazaki178" /><ref name="2karashima159" />{{refnest|group="注釈"|パッラヴァ朝やチャールキヤ朝では、北インドの[[グプタ朝]]のもとに完成されたヒンドゥー教的社会秩序を範とした統治がなされたものの同時代の北インドの諸地域に比較すれば柔軟性があり、[[シヴァ神]]や[[ヴィシュヌ神]]についても儀礼に拘泥されない[[バクティ]]信仰のかたちで受け止められ、展開された<ref name="karashima79">[[#辛島1|辛島(1991)pp.79-82]]</ref>。これは逆に北インドのヒンドゥー思想のあり方へも多大な影響をあたえた<ref name="karashima79" />。}}。これら南部様式の寺院は、のちの[[ラーシュトラクータ朝]]期につくられた[[エローラ]]第16窟の[[エローラ石窟群#ヒンドゥー教石窟|カイラーサナータ寺院]]にも影響を与えたことで知られる<ref name="2karashima159" />
 
[[ファイル:Pap NKAD219.JPG|thumb|280px|right|'''パーパナータ寺院'''
----
寺院群と離れたところに単独で立地する。北インドの様式。
]]
なかでも、パッタダカルで最大規模をほこる'''ヴィルーパークシャ寺院'''は [[8世紀]]にパッラヴァ朝との戦いに勝利して凱旋したヴィクラマーディティヤ2世の栄光を記念するため、王妃ローカ・マハーデーヴィの命で造営され、グンダが設計を担当した寺院である<ref name="kotobank" />。当時は、王妃の名よりローケーシュワラ寺院と呼称されたという。石でできた壮大な寺院の壁には、悪魔を退散させる無数のシヴァ神像が彫刻されており、3段構造の[[ヴィマーナ]](本堂)が戦勝を記念して寺院群の中にそびえる。寺院正面にはシヴァ神に仕える牡牛[[ナンディン]]の像がある。
 
他に南インド様式を代表する寺院に'''マリカールジュナ寺院'''や'''サンガメーシュワラ寺院'''がある。マリカールジュナ寺院はヴィルーパークシャ寺院をやや小規模にしたもので、やはり王の戦勝記念に第 2王妃が造営したといわれている。どちらも屋根は、水平層を階段状に積み重ねる形式になっている。これら南部様式の寺院は、のちにつくられた[[エローラ]]の[[エローラ石窟群#ヒンドゥー教石窟|カイラーサナータ寺院]]にも影響を与えたことで知られる。
 
[[北インド]]の様式に属する寺院には、'''ガラガナータ寺院'''、'''カーシーヴィシュワナータ寺院'''、'''ジャンブリンガ寺院'''、'''カダシッデーシュワラ寺院'''があり、のちの北インド様式に特徴的な{{仮リンク|シカラ|en|Shikhara}}に似た塔をともなう<ref name="kotobank" />。これらは、上述の3寺院と隣接して建てられている。
 
これらとは離れた場所に単独で建てられたのが、'''パーパナータ寺院'''であり、北インドの様式に属する。この寺院は、工匠たちによって、柱や[[天井]]、壁面いっぱいに『[[マハーバーラタ]]』や『[[ラーマーヤナ]]』などの題材が彫られていることで知られる。天井に彫刻を施したのは[[前期チャールキヤ朝]]の建築が初例である<ref name="shirujiten">[[#知る事典|『南アジアを知る事典』(1992)]]</ref>。
 
北部様式の諸寺院を比較すると、パーパナータ寺院では建築の大きさに比較してシカラが貧弱であるのに対し、他の寺院では大きなシカラが強調されており、とりわけカーシーヴィシュワナータ寺院のシカラはたいへん立派なものである<ref name="yamazaki179" />。北部様式の諸寺院もまた、いずれも8世紀の建築である<ref name="yamazaki179" />。
 
[[ファイル:Pattakadal.jpg|center|1000px|thumb|パッタダカル寺院群]]
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[辛島昇]]|year=1991|month=8|chapter=言語と民族のるつぼ|title=インドの顔|publisher=[[河出書房新社]]|series=生活の世界歴史5|isbn=4-309-47215-X|ref=辛島1}}
* {{Cite book|和書|author=辛島昇|editor=辛島昇編|year=2004|month=3|chapter=南インド社会の発展|title=南アジア史|publisher=[[山川出版社]]|series=新版世界各国史7|isbn=4-634-41370-1|ref=辛島2}}
* {{Cite book|和書|author=[[山崎利男]]|editor=筑摩書房編集部編|year=1961|month=11|chapter=チャールキヤ朝期の寺院|title=南アジア世界の展開|publisher=[[筑摩書房]]|series=世界の歴史13|isbn=|ref=山崎}}
* {{Cite book|和書|editor=辛島昇・[[前田専学]]・江島惠教ら監修|year=1992|month=10|title=南アジアを知る事典|publisher=[[平凡社]]|isbn=4-582-12634-0|ref=知る事典}}
* {{Cite book|和書|editor=[[小学館]]編|year=1999|month=10|title=地球紀行 世界遺産の旅|publisher=小学館|series=GREEN Mook|isbn=4-09-102051-8|ref=地球紀行}}