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'''ダルマ・シャーストラ'''([[サンスクリット]]:धर्मशास्त्र、{{IAST|dharmaśāstra}})は、広義には[[紀元前6世紀]]ころから[[19世紀]]中葉まで絶えることなく書き続けられてきたインド古法典の総称で[[ダルマ・スートラ]](律法経)を含む<ref name="jiten">[[#知る事典|『南アジアを知る事典』 (1992)]]</ref><ref name="kotobank">{{コトバンク|ダルマ・シャーストラ}}</ref>。通常、「法典」と訳し、「ヒンドゥー法典」とも称される<ref name="kotobank" />。
 
狭義には、とくにダルマ・スートラと区別して[[紀元前2世紀]]ころから西暦[[5世紀]]ないし[[6世紀]]にかけて[[サンスクリット]]で記された法典で、主なものとしては『[[マヌ法典]]』や『[[ヤージュニャヴァルキヤ法典]]』がある<ref name="kotobank" /><ref name="fujifujii2">[[#藤井|藤井(2007)(2007)p.2]]</ref>。
 
== 広義のダルマ・シャーストラ ==
広義のダルマ・シャーストラは、紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけてのダルマ・スートラ、紀元前2世紀から紀元後5、6世紀にかけての[[スムリティ]](聖伝、憶伝書)、[[7世紀]]ないし[[8世紀]]以降の注釈書、[[12世紀]]以降の[[ダルマ・ニバンダ]]に分類される<ref name="jiten" />。ダルマ・スートラは、すでに[[バラモン教]]の天啓聖典である[[ヴェーダ]]に付随して成立しており、バラモン教社会の4つの種姓([[ヴァルナ (種姓)|ヴァルナ]])それぞれの[[権利]]・[[義務]]と日常生活のあり方が規定されていた<ref name="kotobank" />{{refnest|group="注釈"|ダルマの原義は「支えを保つ」である<ref name="nara147">[[#奈良|奈良(1991)pp.147-150]]</ref>。これを、人間を人間たらしめるものと解釈すれば「真実」、宗教者にとっては「教え」「教法」となり、社会的脈絡のなかでは「倫理」ないし、それが強制力をともなう行為パターンとして固定するならば「義務」「法律」という意味になる<ref name="nara147" />。ダルマの内容と権威はすべてヴェーダにもとづくが、ヴェーダそのものは天の声、神の啓示と考えられているのに対し、ダルマ・シャーストラはヴェーダをより詳細にし、不足を補うための、賢者聖人が教えた権威ある聖伝聖典と考えられている<ref name="nara147" />。}}。ダルマ・スートラは[[散文]]体で書かれ、特定のヴェーダ学派と結びつく性格をもっている<ref name="fujii2" />。
 
== 狭義のダルマ・シャーストラ ==
狭義のダルマ・シャーストラは、紀元前2世紀ころから西暦5世紀ないし6世紀にかけて[[サンスクリット]]の[[韻文]]体で記された法典で、主なダルマ・シャーストラには『マヌ法典』や『ヤージュニャヴァルキヤ法典』『[[ナーラダ法典]]』があり、特にダルマ・スートラと区別される<ref name="fujifujii2" />。『ヤージュニヴァルキヤ法典』や『ナーラダ法典』といった後期ヒンドゥー法典は、『マヌ法典』ほどの総合性には欠けるが、諸規定はいっそう現実の生活に即したものに整えられている<ref name="yamazakikarashima98">[[#山崎辛島|山崎・辛島(2004)p.98]]</ref>。『マヌ法典』やそれに先立つ諸々の律法経には、[[司法]]にかかわる規定が存在し、その定めるところによれば、司法の最高権威たる王はダルマ(聖法)にしたがって犯罪を罰しなければならないとする<ref name="yamazakikarashima98" />。しかし、ダルマを保持して諸人を教導するのはバラモンであるとされているところから、実際には学識経験豊かなバラモン階層の者が王の代理として裁判に臨むことが多かった<ref name="yamazakikarashima98" />。ダルマ・シャーストラは国王の定めた国法ではないにもかかわらず、司法は主としてバラモンによって握られていたため、実際の法廷では大きな効力を有したのであった<ref name="yamazakikarashima98" />。ダルマ・シャーストラはスムリティ(聖伝)に含まれ、特定の[[儀礼]]や学派(ダルシャナ)には結びつかない<ref name="fujii2" />{{refnest|group="注釈"|バラモン教に由来する3つの学派には、[[ヴェーダーンタ]]、[[サーンキヤ]]、[[ヨーガ]]がある<ref name="eliade69">[[#エリアーデ|M.エリアーデ(2000)p.69]]</ref>。}}。韻文であるところから、文学と結びつきやすく、のちに発展する法典文学の源泉ともなった<ref name="kotobank" />。[[18世紀]]後半から[[19世紀]]初頭にかけて40種を超す法典が[[英語]]、[[フランス語]]、[[ドイツ語]]など西欧諸語に翻訳された<ref name="fujifujii2 "/>。
 
== 周辺国や後世への影響 ==
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** {{Cite book|和書|author=[[小谷汪之]]・辛島昇|editor=辛島編|year=2004|chapter=第7章 イギリス植民地支配の始まりとインド社会|title=南アジア史|publisher=山川出版社|series=新版世界各国史7|isbn=4-634-41370-1|ref=小谷辛島}}
* {{Cite book|和書|author=[[奈良康明]]|year=1991|month=8|chapter=ヒンドゥー教徒の生活|title=インドの顔|publisher=[[河出書房新社]]|series=生活の世界歴史5|isbn=4-309-47215-X|ref=奈良}}
* {{Cite book|和書|editorauthor=[[藤井毅]]|year=2007|month=12|title=インド社会とカースト|publisher=[[山川出版社]]|series=世界史リブレット|isbn=4-634-34860-8|ref=藤井}}
* {{Cite book|和書|editor=辛島昇・[[前田専学]]・江島惠教ら監修|year=1992|month=10|title=南アジアを知る事典|publisher=[[平凡社]]|isbn=4-582-12634-0|ref=知る事典}}
* {{Cite book|和書|author=[[ミルチア・エリアーデ]]|translator=[[島田裕巳]]|year=2000|month=5|title=世界宗教史3|publisher=[[筑摩書房]]|series=[[ちくま学芸文庫]]|isbn=4-480-08563-7|ref=エリアーデ}}