「マリア・テレジア」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
168行目:
* [[シェーンブルン宮殿]]の黄色は「テレジアン・イエロー」とも呼ばれる。しかし彼女が好んだ色というわけではなく、宮殿の塗装を決める際、夫フランツが「金にしよう」と言ったものの経済事情が厳しいため、彼女が黄色に決定したという。宮殿内に「日本の間」があり、素晴らしい古伊万里コレクションがある。
* 当時の王侯の中でも語学力は高く、[[ドイツ語]]・[[イタリア語]]・[[フランス語]]・[[ラテン語]]を自在に話せた。
* [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の事を毛嫌いしていた。これは、[[1762年]]に父の[[レオポルト・モーツァルト|レオポルト]]が息子の売り込みのために無理やり自らに謁見したためである<ref>[http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op1/k180.html#Heina 6つのピアノ変奏曲 ト長調 K.180 (K6.173c)]</ref>。息子たちにもモーツァルトを雇用しないようくぎを刺したため、モーツァルトは終生ウィーンを含む各宮廷の要職に付けずに貧困のうちに没することとなる。唯一の例外はヨーゼフ2世のみであり、マリア・テレジアに従う重臣たちの意向を覆すことはできなかった。
{{-}}