「毛利秀秋」の版間の差分

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[[毛利秀頼]](長秀)の子。父の秀頼は[[斯波氏|斯波武衛家]]の落胤という<ref>{{Citation |和書|last=谷口 |first=克広 |author2=[[高木昭作]](監修)|author-link=谷口克広 |year=1995|title=織田信長家臣人名辞典|publisher=吉川弘文館|isbn=4642027432|pages=445}}</ref>。
 
[[豊臣秀吉]]に仕える。[[文禄]]2年([[1593年]])に父が亡くなると、閏9月日に秀吉より父の遺領10万石の内の1万石だけが秀秋に与えられ<ref name=p250/>、大部分の9万石と[[飯田城 (信濃国)|飯田城]]は所領が隣接する[[高遠城]]主で義兄でもある[[京極高知]]が継承した<ref>{{Harvnb|高柳|松平|1981|p=90}}</ref><ref>秀秋が父の遺領を継承できなかった理由は不明であるが、秀秋が庶子だったのならば、秀頼の嫡孫にあたる[[京極高広|高広]]に相続させたいという秀頼の遺志だったのかもしれない。</ref>。
 
[[慶長]]4年([[1599年]])正月より秀秋は[[豊臣秀頼]]に伺候した<ref name=p250/>。