「北区 (新潟市)」の版間の差分

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[[日本海東北自動車道]]、[[国道7号]]([[新新バイパス]])、[[国道113号]]、JR[[白新線]]等により新潟市都心部から比較的交通アクセスが良い。
 
[[越後平野]]が広がっており、区内で最も[[標高]]の高い地点でも30 mに満たない。海側の松浜・南浜地区は[[新潟砂丘]]の砂丘列が何本も横切るため比較的標高が高いが、一方で内陸部は大半が標高0-4mと低く、帯状にできた僅かな[[自然堤防]]の微高地に古くからの居住地が形成されてきた<ref name=GSImaps>{{Cite web|url= https://maps.gsi.go.jp/#13/37.916508/139.217463/&base=std&ls=std|ort_old10|lcm25k_2012&blend=00&disp=101 |title=地理院地図 「数値地図25000(土地条件)」+「空中写真(1961~1969年)」+「標準地図」 |publisher= [[国土地理院]] |accessdate= 2020-12-30}}</ref>。[[高度成長期]]以降には[[盛土]]による宅地開発により[[後背湿地]]にも市街地が拡大した<ref name=GSImaps/>。低地ゆえに[[1966年]](昭和41年)の7.17水害([[下越水害]])や[[1967年]](昭和42年)の8.28水害([[羽越豪雨]])、[[1998年]]の8.4水害([[平成10年8月新潟豪雨]])など幾度となく水害に苦しめられてきたが、それらを受けて[[新井郷川]]の排水機場や[[福島潟放水路]]など排水施設の整備が進んだため、2000年代以降の豪雨の際は大きな浸水被害は発生していない。
海側の松浜・南浜地区は砂丘地でやや標高が高くなっているが、内陸部の大半が標高0-4mと低く、また中心市街地に近づくほど標高が低く、近年でも幾度となく水害に苦しめられていた。
 
海岸部(島見浜)では海水浴が可能。南東端にある[[福島潟]]はかつて大きな潟であったが、近世以降に干拓が進み面積が縮小。近年は水の公園福島潟として観光用に整備・保全されている。
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* [[新鼻 (新潟市)|新鼻]]
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{{Double image|right|Niigata r26 Kuzutsuka Honcho-dori April2020.jpg|200|Kuzutsuka Market Street April2020August2020.jpg|200|[[1957年]]([[昭和]]32年)まで<ref name=Machinaka>{{Cite web|url= http://www.toyosaka-tmo.com/machinaka/pdf/teian.pdf |title= 平成25年度 北区自治協議会提案事業 北区まちなか賑わい創出事業 「葛塚中心部まちづくり構想」 提案書 |publisher= まちづくり構想検討委員会 |accessdate= 2020-04-22}}</ref><ref name=Koho52>[http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/kita/koho_toyosaka/1962/621201/52_2.pdf 『豊栄広報』第52号 p.2 開市二百年] 豊栄町</ref>定期([[六斎市]])が開かれていた葛塚本町通り(2020年4月撮影)<br />葛塚市は[[1761年]]([[宝暦]]11年)に幕府から認可を受けて始まったものである<ref name=Koho52/>。|定期市の移転先となった常盤町通り。現在でも5・10のつく日に開催される(2020年48月。開催日に撮影)<br />かつては堀のある歓楽街だった<ref>[http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/kita/koho_toyosaka/2005/050215/538_12_13.pdf 『広報とよさか』第538号 2005年2月15日 p.13 ふるさととよさか今と昔 その10 葛塚の街並み~常盤町と上大口~] 豊栄市</ref>。}}
 
: 区の中心は豊栄駅周辺の[[葛塚 (新潟市)|葛塚]](くずつか)を中心とした葛塚地域。古くからの市街地で、月に6回以上は[[市場|市]](五十市)も開かれる。この葛塚を中心として商業地・住宅地の開発が進捗した。1970年代後半以降<ref>{{PDFlink|[http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/kita/koho_toyosaka/1978/780420/214_6_7.pdf 『豊栄広報』第214号 p.6]}} (1978年4月20日)</ref>は豊栄駅北側でも開発が進み、現在では住宅地や商業地となっている。豊栄駅北西部の柳原、豊栄新潟東港IC周辺のかぶとやまの2地区は大型ショッピングセンターを中心とした郊外型店舗の集積地となっている。また駅東側の太田(字法花鳥屋)には、小規模ながらも地元スーパーを中核としたショッピングタウンを形成している。これは、マイカルが運営するショッピングセンター「豊栄サティ<ref>[http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/kita/koho_toyosaka/2000/000915/index.htm 『広報とよさか』第485号 2000年9月15日 pp.12 街再発見 葛塚地区] 豊栄市</ref>」が親会社の経営難により閉店した跡地を利用したものである。