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[[1993年]]春に[[低カリウム血症]]により入院する。この頃から山田は歩行困難になり、何度も入退院を繰り返すほど衰弱していた為、晩年での収録時は椅子に座って行う事が増えた。また、自身の死期を悟っている様な言動をとることがあった(後述)他、便箋に「ハヤイ ハナシガ イショ(早い話が遺書)」と家族へ感謝を述べた文章を綴り、自宅の机にしまったりしていた<ref name="page18">{{Harvnb|かきあげこ|1995|p=18}}</ref>。
 
[[1995年]][[2月17日]]午後3時30分、[[脳出血]]で自宅で倒れ、[[東京都保健医療公社荏原病院|東京都立荏原病院]]に搬送される。意識不明の入院が続き、医師は「予断を許さない状態」と診断。家族は毎日看病に通い詰めたが、18日夜に引き揚げた後に容体が急変、[[3月19日]]午前6時35分。山田は62歳という若さで死去。満62歳([[享年]]64)没。葬儀・告別式は[[3月23日]]に執り行われ、遺骨は[[多磨霊園]]に納められた<ref>{{Cite web|title=山田康雄|url=http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yamada_ya.html|website=歴史が眠る多磨霊園|accessdate=2020-03-09}}</ref>。
 
山田の死を受け、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]は朝のワイド番組の内容を急遽変更し『追悼特別企画 ルパン三世の山田康雄さん逝く』を放送。[[3月31日]]には追悼企画として『[[金曜ロードSHOW!|金曜ロードショー]]』で『[[ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!]]』を再放送した<ref group="注">再放送自体は、山田が亡くなる前から予定されていた。</ref>。テレビ朝日も洋画の吹き替えで馴染みがあることから『[[日曜洋画劇場]] 山田康雄追悼企画』として追悼番組を組み、フジテレビを含む各局もワイド番組内にて追悼番組が組まれた。NHKも山田が死去した翌日の[[3月20日]]に朝のニュース番組及びバラエティ番組の一部において「人気アニメ『ルパン三世』でお馴染みの俳優の山田康雄さん急逝」と放送した。だが、同日に[[地下鉄サリン事件]]が発生したことから、すぐに報道特別番組の編成に変更されたため、その訃報が大きく報じられることはなかった。