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[[万葉集]](第六巻)では『住吉の粉浜のしじみ開けもみず隠りてのみや恋ひわたりなむ』という作者不詳の歌が採録されていて、粉浜の地名も登場する。
 
尚、[[日本書紀]]の第10代[[崇神天皇]]紀62年にて[[依網池]]、苅坂池、反折池を造った時に天皇が居たと記述される桑間宮(くわまのみや)は粉浜にあったのではないかとの説もある。
 
中世までは粉浜村として一つの村だったが、1453年の火災による移住で今在家村・中在家村と呼ばれる二つの村に分かれた。当初は[[住吉郡]]に属していたとされるが、[[西成郡]]へと所属替えになっている。[[江戸時代]]には今在家・中在家の両村とも、[[大坂三郷]]への米や蔬菜を供給する農村地帯となっていた。