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{{Infobox 人物
|氏名 = 梅沢 節男
|ふりがな = うめざわ せつお
|画像サイズ =
|画像説明 =
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1931|5|9|死去no}}
|生誕地 = 滋賀県大津市
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1931|5|9|2013|11|12}}
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|職業 = 官僚
|出身校 = [[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都大学法学部]]
|配偶者 =
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'''梅沢 節男'''(うめざわ せつお、[[1931年]][[5月9日]] - [[2013年]][[11月12日]])は、[[滋賀県]][[大津市]]出身の元[[大蔵省|大蔵]][[官僚]]。[[国税庁長官]]、[[公正取引委員会]]委員長などを歴任した。
 
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滋賀県立膳所中学校(旧制、現在の[[滋賀県立膳所高等学校|膳所高校]])を経て、[[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都大学法学部]]を卒業。同年[[大蔵省]]に新制後期組で入省。同期に[[西垣昭]](大蔵事務次官)、大竹宏繁([[経済企画庁]]事務次官)ら。
 
1982年当時、次官だった[[高橋元]]は元[[主税局]]長で、[[田中角栄内閣]]において税制二課長だった際、[[自動車税|自動車新税]]を企画立案するなど税のエキスパートとして知られていた。省内では[[第二次臨時行政調査会|第二臨調]]が打ち出した「増税なき財政再建」が建前にすぎず、いずれ大型増税に踏み切ることを予想し、従来の主計局長 - 大蔵事務次官という省内バランスを崩して主税出身の高橋を次官に据え、[[福田幸弘]]主税局長(のち国税庁長官)とのラインでその布陣を敷いた。そして、その秘蔵っ子として[[大阪国税局]]長から異例の二段跳びで梅沢が主税局長に抜擢され、同総務課長には[[内海孚]](のち財務官)が就任した。
そして、その秘蔵っ子として[[大阪国税局]]長から異例の二段跳びで梅沢が主税局長に抜擢され、同総務課長には[[内海孚]](のち財務官)が就任した。
 
主税局長在任中は、[[消費税]]導入問題や、[[少額貯蓄非課税制度]](通称 [[少額貯蓄非課税制度|マル優]])改革、さらに[[グリーンカード]]導入の際の税徴収問題などに当たる。利子配当課税問題が紛糾した際、梅沢は、[[課税]]の公平を保つには、マル優預金や[[郵便貯金]]の[[利子]]にも定率課税すべきだと主張。与野党300余人の[[族議員|郵政族議員]]が猛反発したが、これにほとんど1人で立ち向かい、[[自由民主党税制調査会|自民党税調]]で最後まで筋を通した<ref name="shijyo138">『市場検察』p.138</ref>。
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[[国税庁]]長官時代、女性査察官を主人公にした[[伊丹十三]]監督のヒット映画「[[マルサの女]]」の制作では、「内容には口を挟まないので、自由にやって下さい」と全面協力した<ref name="shijyo138" />。
 
長官退職後は[[公正取引委員会]]委員長や[[日本興業銀行]]副頭取を歴任した。公取委委員長在任時は、豊富な政財界人脈を駆使し、公取委職員を伴わずお忍びで法案などの根回しを行った<ref>『市場検察』p.15</ref>。[[1991年]]5月、公取委は[[ゼネコン]]業界の[[談合]]組織である埼玉土曜会に立ち入り検査に入り、刑事[[告発]]の動きをとる。これを巡って、[[中村喜四郎]][[衆議院議員]]が告発を回避するよう梅沢に圧力をかけたことが引き金となり、[[ゼネコン汚職事件]]が表面化した。
伴わずお忍びで法案などの根回しを行った<ref>『市場検察』p.15</ref>。[[1991年]]5月、公取委は[[ゼネコン]]業界の[[談合]]組織である埼玉土曜会に立ち入り検査に入り、刑事[[告発]]の動きをとる。これを巡って、[[中村喜四郎]][[衆議院議員]]が告発を回避するよう梅沢に圧力をかけたことが引き金となり、[[ゼネコン汚職事件]]が表面化した。
 
2013年11月12日、[[下咽頭がん]]のため死去<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2802E_Y3A121C1000000/ |title=梅沢節男氏が死去 元公正取引委委員長 |agency=日本経済新聞 |date=2013-11-28 |accessdate=2013-11-28}}</ref>。82歳没。
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*滋賀県立膳所高等学校卒業。
*1953年 京都大学法学部卒業、同年大蔵省に新制後期組入省 (銀行局検査部)
*1953年8月  銀行局特殊金融課
*1955年7月  南九州財務局金融課
*1957年10月  大阪国税局総務課
*1958年11月  管財局接収貴金属監理官付
*1959年6月  管財局貴金属第一課
*1960年7月  紋別税務署長
*1961年7月  甲府税務署長
*1962年7月  国税庁長官官房会計課課長補佐
*1964年9月  東京国税局総務課長
*1966年8月  主計局主計官補佐(労働)
*1968年7月  主計局主計官補佐 (防衛一)
*1969年8月  新東京国際空港公団経理課長
*1971年7月  行政管理庁行政管理局管理官
*1973年7月  主計局主計官(厚生、労働担当)
*1976年6月 主税局総務課長
*1978年 [[名古屋国税局]]長
*1980年 主税局審議官
*1981年 大阪国税局長
*1982年 主税局長
*1985年6月 国税庁長官(1987年6月まで)
*1987年9月 公正取引委員会委員長(1992年まで)
 
== 脚注 ==
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== 参考・関連書籍 ==
* [[神一行]]『大蔵官僚―超エリート集団の人脈と野望』[[講談社]]、1982年。ISBN 4062001020 P175~pp.175-176
* 村山治『市場検察』[[文藝春秋]]、2008年。ISBN 4163701605
 
 
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