「対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件」の版間の差分

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ソ連側の発表では、領空侵犯は悪天候と計器故障による事故であったと説明<ref name="asa19871211-so">1987年12月11日 朝日新聞「責任者処罰も要請 領空侵犯事件、政府がソ連に抗議 」</ref>。ただし事件当時の那覇付近の天気は晴れとなっており<ref>http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=91&block_no=47936&year=1987&month=12&day=09&view=p1</ref>、[[西広整輝|西廣整輝]]防衛局長(当時)は[[12月10日]]の内閣委員会で「十分視界もきいて島も見える状況なので、かなり悪質であると考えている」旨を発言<ref>昭和62年12月10日 参議院内閣委員会[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/111/1020/main.html]</ref>。また、F-4EJ一番機後席のBは、ソ連機搭乗員の焦りや動揺は「伝わってこなかった」と語っている<ref>[[瀧野隆浩]]著「自衛隊指揮官」[[講談社]]、2002年刊行、p.149-150</ref>。加えて、ソ連機は空自機を目視したが、旋回方向を誤った操縦ミスであったとも説明している<ref>1987年12月26日 読売新聞「領空侵犯でソ連大使が政府に陳謝 飛行士の降格も」</ref>。
 
[[1988年]](昭和63年)[[1月14日]]、[[{{仮リンク|エドワード・ティシエ]]|en|Edward L. Tixier}}[[在日米軍]][[司令官]](兼[[5空軍 (アメリカ軍)|第5空軍]]司令官)は、退任にあたっての記者会見で、米軍機が上空待機して事態を監視し、一部始終を把握していたことを明かした<ref name="19880115yomi">1988年1月15日 読売新聞「ソ連偵察機の沖縄領空侵犯 撃墜してもよかった/在日米軍司令官見解」</ref>。その上で、空自が撃墜しなかったことを高く評価している<ref name="19880115yomi"/>。
 
== 政府の対応 ==
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