「ヴィクトリー (戦列艦)」の版間の差分

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'''ヴィクトリー''' ({{En|HMS ''Victory''}}) は、[[イギリス海軍]]の104門[[1等艦|1等]][[戦列艦]]。1805年の[[トラファルガーの海戦]]において[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]提督が座乗、[[旗艦]]として仏西連合艦隊の脇腹を突くべく艦隊の先鋒を務めていたことで知られる。他にも[[ウェサン島の海戦 (1778年)|ウェサン島の海戦]]での[[オーガスタス・ケッペル|ケッペル]]提督や、[[{{仮リンク|スパルテル岬の海戦]]|en|Battle of Cape Spartel}}での[[リチャード・ハウ|ハウ]]提督、[[サン・ビセンテ岬の海戦]]での[[ジョン・ジャーヴィス]]提督ら、多くの提督の座乗艦であった。
 
1922年に[[ポーツマス]]の[[乾ドック]]に移され、[[博物館船|記念艦]]となった。ポーツマス軍港の港湾司令官や第二海軍卿の旗艦を務めていたが、2012年8月からは[[第一海軍卿]]の旗艦となった。現存する唯一の戦列艦であるとともに、世界最古の現役艦でもある(航行可能な現役艦としては[[アメリカ海軍]]の[[コンスティチューション (帆走フリゲート)|コンスティチューション]]が最古)。
[[File:Batalha do Cabo de São Vicente.jpg|thumb|right|「サン・ビセンテ岬の海戦」(1881年) リチャード・ブリッジス・ベッキーによる絵画]]
{{Main|サン・ビセンテ岬の海戦}}
1796年、[[ロバート・カルダー]]を第一艦長、ジョージ・グレイを第二艦長として、ヴィクトリーは[[ジョン・ジャーヴィス]]提督の旗艦となった<ref name=Win/><ref name=Wil91>Willis (2013) p.91</ref>。1796年の暮れの時点で、[[地中海]]での英国の編成はフランス・スペイン連合艦隊に対して不十分で、[[コルシカ島]]や[[エルバ島]]からの撤退を余儀なくされた。ジャーヴィスは麾下の艦隊を[[サン・ヴィセンテ岬|サン・ビセンテ岬]]に配置し、スペイン艦隊の北上を妨げていた。当時、代将だった[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]は、エルバ島からのイギリス軍撤退を指揮した後、[[フリゲート|フリゲート艦]]ミネルヴァ([[w:French frigate Minerve (1794)|en]])でジブラルタルに向かった<ref name=BW399>Wilson (2013) p.399</ref><ref name=Wil90>Willis (2013) p.90</ref>。そして、スペイン艦隊が数日前に海峡を通過したという情報を入手し、2月11日ジャーヴィスの艦隊と合流するために出港した<ref>Vincent (2003) p.180</ref>。一方のスペイン艦隊は24隻の戦列艦と輸送船からなっていたが、強い東風に流されコースを外れたため、夜を徹して目的地[[カディス]]への航路を取り直していた<ref name=Wil90/>。ネルソンは濃い霧にまぎれてスペイン艦隊に発見されることなく2月13日にジャーヴィスの艦隊と合流した<ref name=Wil102>Willis (2013) p.102</ref>。ジャーヴィスの艦隊は2月5日にウィリアム・パーカー提督率いる5隻の戦列艦を加え、15隻に強化されていた<ref>Vincent (2003) p.163</ref>。2月14日朝、イギリス艦隊を2列の縦隊を形成しており、ジャーヴィスはヴィクトリーの後甲板で士官に向かって「イングランドの命運はこの戦いの勝利にかかっている。("A victory to England is very essential at this moment.")」と宣言した。午前6時半頃スペイン艦隊視認の報があり<ref name=Wil91/>、9時頃には旗艦ヴィクトリーの[[マスト]]からも敵艦を確認できるようになった。そして11時、ジャーヴィスは全艦に戦列を組んで戦うよう命じた<ref name=EB19>Eastland & Ballantyne (2011) p.19</ref>。スペイン艦隊の数は27隻に上りイギリス艦隊の約2倍に達していた。カルダー艦長が次第に増えてゆく算定数をジャーヴィスに報告すると、ジャーヴィスはこう答えた。「十分だ。これ以上はいい。賽は投げられたのだ。私はたとえ(敵が)50隻いようとも、突き進んでゆく。("Enough Sir. No more of that. The die is cast and if there are 50 sail, I will go through them.")<ref>Willis (2013) pp.&nbsp;102–103</ref>」イギリス艦隊は単縦陣で、未だ戦闘準備を終えていない2つのグループに分かれたスペイン艦隊の間に進んでいった<ref name=Wil91/>。イギリス艦隊は、ネルソン指揮下の[[74門艦]][[キャプテン (戦列艦・3代)|キャプテン]]の時機を得た活躍もあり、スペイン艦隊の分断に成功した。午後4時半すぎには戦いはほとんど終息し、[[ブリタニア (戦列艦・1762年)|ブリタニア]]および[[オライオン (戦列艦)|オライオン]]と、守られつつ離脱してゆくスペイン艦[[ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダー (戦列艦)|サンティシマ・トリニダー]]の間で小競り合いがある程度となった。海戦はイギリス艦隊の勝利に終わった。スペイン艦隊は4隻の戦列艦を捕獲され、死傷者合わせて約1,000人の損害を出した。一方イギリス艦隊の損害は全体で戦死73人、負傷327人であり、旗艦ヴィクトリーにおいては戦死1人、負傷5人だった<ref>Willis (2013) pp.104,105 & 109</ref>。この1名の戦死者は、ヴィクトリー甲板上を襲った砲弾が、ジャーヴィスを僅かに逸れ、近くにいた水夫を直撃したものだった<ref name=EB20>Eastland & Ballantyne (2011) p.20</ref>。イギリス艦隊はスペイン艦隊に致命傷を与えることはできず、カディス港入港を阻止するという目的も達成できなかったが、この戦いによってスペイン艦隊はその後2年の間港にとどまることを余儀なくされ、フランスのイギリス侵略を不可能にした<ref name=EB20/>。
 
== 再建造 ==
 
== ネルソンとトラファルガーの海戦 ==
[[File:Vice-Admiral Horatio Nelson, 1758-1805, 1st Viscount Nelson.jpg|thumb|upright|[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]は2度ヴィクトリーを旗艦にした。]]
{{Main|トラファルガー戦役}}
海軍中将ホレーショ・ネルソン提督がその将旗をヴィクトリーに掲げたのは1803年5月18日のことだった。サミュエル・サットンが旗艦艦長を務めた<ref name=Win/>。しかし、ヴィクトリーは航海の準備を完了していなかったため、ネルソンは5月20日にフリゲート艦アンフィオンに移り、指揮官として任じられた[[地中海]]へ向けて出発した<ref name=S149>Stilwell (2005) p.149</ref>。ヴィクトリーは少し遅れて、今度は[[ウィリアム・コーンウォリス]]提督の旗艦となるためウェサン島に向けて出港した。しかし、その必要はないとされ、結局ネルソンの艦隊に合流すべく地中海へ向かった<ref name=S149/>。
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