「中村彝」の版間の差分

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* [[1921年]](大正10年)には病状が悪化し、同年7月には遺書を認めている。彝は1921年(大正10年)から翌年にかけては病臥の生活で、ほとんど作品を残していない。
* [[1924年]](大正13年)、37歳で死去。死の直前の[[1923年]](大正12年)~1924年(大正13年)に描かれた『頭蓋骨を持てる自画像』は、若い頃の彝の[[自画像]]とは別人のように頬がこけ、眼の落ち窪んだ相貌になっているが、その表情には苦行僧か聖人のような澄みきった境地が感じ取れる。絶筆は花を生けた花瓶を描いた『静物』(未完)。
*[[1989年]](平成元年)中村彝賞が中村彝会(弟子であった[[鈴木良三 (画家)]]会長)によって創設され、第1回賞贈呈式が2月2日[[新宿中村屋]]で行われた(受賞者は[[佐竹徳]])。同賞は、60歳以上の優れた具象画家を対象に年1回選考される<ref>[https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/7262.html 東京文化財研究所 第1回中村彝賞]</ref>。
* [[2013年]](平成25年)新宿区下落合に残るアトリエ跡が復元され、「新宿区立中村彝アトリエ記念館」としてオープンした。
[[File:Nakamura Tsune Atelier Museum.JPG|thumb|200px|中村彝アトリエ記念館]]
 
== 主な作品 ==