「炭鉱国管疑獄」の版間の差分

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しかし、後に炭鉱主側の工作が世間に露見する。この疑獄では[[長尾達生]]、[[淵上房太郎]]、[[倉石忠雄]]、[[平井義一 (政治家)|平井義一]]、[[植原悦二郎]]、[[西田隆男]]、[[川崎秀二]]、[[坪川信三]]、[[伊藤卯四郎]]、[[木内四郎]]、[[衛藤速]]、[[浜田寅蔵]]、[[大滝亀代司]]、[[岡部得三]]といった14人の国会議員が[[証人喚問]]された<ref>『戦後政治裁判史録1』337頁。</ref>。
 
検察は各所を捜索し、福岡県下の銀行を調べた結果、都市銀行の福岡県下の支店から東京支店に送金されたことが発覚した(東京送金)<ref>『戦後政治裁判史録1』338-339頁。</ref>。捜査は続けられ、[[田中角栄]]、[[田中万逸]]、[[竹田儀一]]、[[尾崎末吉]]、坪川信三、岡部得三、[[庄忠人]]、[[東舜英]]、[[深津玉一郎]]、[[平野増吉]]が収賄罪で、[[長尾達生]]が贈賄罪で、衆議院議員が逮捕された(田中角栄の逮捕は国会開会中のため[[逮捕許諾請求]]可決によって逮捕され、田中角栄以外の10人は1948年12月23日の[[馴れ合い解散|衆議院解散]]以後に前衆議院議員として国会閉会中に通常逮捕されている)<ref>『戦後政治裁判史録1』340-341頁。</ref>。
 
1948年12月22日から19481949年4月5日まで、田中角栄、田中万逸、竹田儀一、尾崎末吉、庄忠人、東舜英、深津玉一郎の7人が収賄罪で起訴され、長尾達生と炭鉱主4名の計5名が贈賄罪で起訴され、12名が刑事裁判にかけられた<ref name="tanaka_342">『戦後政治裁判史録1』342頁。</ref>。収賄罪で逮捕された政治家の内、坪川信三、岡部得三、平野増吉は起訴猶予となった<ref name="tanaka_342"></ref>。
 
炭鉱国管疑獄表面化の当時、刑事裁判は旧刑事訴訟法を基本に、「日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟の応急措置に関する法律」(1948年12月31日失効)によって審理されていたが、捜査中の1949年1月1日から新刑事訴訟法が施行された<ref name="tanaka_342"></ref>。炭鉱国管疑獄の被告は起訴された日付によって、旧刑訴法適用組と新刑訴法適用組の2つのグループに分離されて東京地裁で裁判が行われた<ref name="tanaka_342"></ref>。