「ジェイ条約」の版間の差分

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F.V.E (会話 | 投稿記録)
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==背景==
[[1783年]]、[[アメリカ独立戦争]]の講和条約である[[パリ条約 (1783年)|パリ条約]]で、イギリスはアメリカ合衆国の独立を承認した。しかし、政治的独立を認めたものの、その後の両国の経済関係については取り決めがなされていなかった。1789年に勃発した[[フランス革命]]が急進化し、1793年に革命政府が[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]を処刑するに至り、イギリスは[[第一次対仏大同盟|対仏大同盟]]を結成して革命へ干渉する姿勢を鮮明にした。一方で、合衆国はフランス革命に対して中立の立場をとり、[[フランス]]との貿易を継続しようとした。この米仏間の貿易をイギリスが妨害しようとしたことから、米英関係が緊張した。両国間の戦争回避にむけ、初代大統領の[[ジョージ・ワシントン]]は、特使として[[ジョン・ジェイ]]をイギリスへ派遣し、両国関係の改善を図った。こうして1794年、イギリスとの間にジェイ条約が調印されることになった。
 
==内容==