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日本では、[[江戸時代]][[元禄]]年間に、江戸の王子付近の薬草園([[東京大学大学院理学系研究科附属植物園|小石川御薬園]])で、種子(亜麻仁)を[[薬種]]として使用するために、種子が輸入され栽培された記録がある<ref name="亜麻について">{{Cite journal |和書|author=妹尾清子|date=1998|title=亜麻について|journal=民俗服飾研究論集|issue=12|page=29-38}}</ref>。しかし当時は亜麻仁を中国から比較的安易に輸入出来たので栽培は定着しなかった。
 
本格的な栽培は、明治時代に入り[[北海道]]で導入された。明治元年(1871年)、プロシア人のガルトネルが北海道の七重村に亜麻を試作<ref name="北海道麻事業">{{Cite journal |和書|author=福山和子|date=1987|title=北海道の麻事業の歴史概説|journal=民俗服飾研究論集|issue=2|page=23-26}}</ref>、また1874年に駐ロシア公使の[[榎本武揚]]が北海道開拓使長の[[黒田清隆]]にロシアの亜麻の種子を送り<ref name="明治の製麻">{{Cite journal |和書|author=塩田公子、正地里江、岡野和子|date=1997|title=埼玉県の麻について|journal=民俗服飾研究論集|issue=11|page=17-26}}</ref>、函館の郊外にて栽培された<ref name="亜麻について"/>。長野県でも栽培される(寒冷、山岳部など綿の適さない土地で)<ref name="明治の製麻"/>。戦中は、麻製品全般の軍需で帝国製麻が創立され<ref name="北海道麻事業"/>、1914年にはイギリスに亜麻の帆を1500反輸出している<ref name="明治の製麻"/>。北海道では1920年(大正9年)に最高の生産量となる<ref name="亜麻について"/>。全国規模では1948年の[[大麻取締法]]による大麻の栽培制限により、1950年より試験的に亜麻の栽培が奨励されていることから、亜麻の栽培は衰退していたものと考えられるが、この後1950年以降、水稲の前に亜麻を栽培する換金作物として生産は増大したが、輸入した方が安く1957年をピークに減少し続け、1980年ごろまで細々と生産されていた<ref name="亜麻について"/>。
 
次第に生産が途絶えたが、2000年に若者が北海道での栽培の復活を試み、何年もの試行錯誤を経て大塚農場にて栽培が続いている<ref name="naid亜麻">{{Cite journal |和書|author=永井佳史 |date=2017-10 |title=なるべくしてなったわらしべ長者 大塚農場 代表取締役 大塚慎太郎 |url=http://agri-biz.jp/item/detail/4613 |journal=農業経営者 |volume= |issue=259 |pages=4-9 |naid=}}</ref>。種子を食用に利用するために北海道の当別町で亜麻栽培が復活し、北海道亜麻ルネサンスプロジェクトが進行している。2007年には当別町亜麻生産組合が設立されて、栽培技術の向上と普及に取り組んでいる。北海道独自の特用作物として亜麻の評価が高まるにつれて、[[十勝地方]]や[[上川地方]]に栽培が広がっている。